法律なるほど! (page 1 of 2)

お上の思うツボに、はまらぬように!


世の中、色んな争いごとがいっぱい(>_<)
その争いごとを最終的に解決できるのは、結局、法律であり裁判です。
みなさん、裁判というと、ちょっと堅苦しくて小難しいとお思いでしょうが、まったくその通り!
法律にしても判決文にしても、とても日本語とは思えないような超悪文だらけ。まともな神経では、とても読めたもんじゃありません。法律を作る国会も、それを実行する規則を作るお役人も、争いを裁く裁判官も、何だかとてもまともな日本語教育を受けてきたとは思えないぐらい。
でもそれには訳があります。昔っから、「知らしむべからず」なあんて言って、大切なことは庶民には知らせるな、というのがお上の体質ってもんなんです。
なぜかって? お上は完璧なんだから、何も分かってない国民からいろいろ口出しをされたくないんですね(+_+) つまり、大切なことを、わざと読みにくくして、読む気をなくさせたり理解できなくさせたりけむに巻いたりするのが、まあ権力者というものの常なんです(^_-)
もちろん、「王に間違いはない」なんて言われてきた支配者たちがどれほどの過ちを犯してきたか、それは歴史を見れば明らかなんですが。まあ、権威を保ちたいから、もって回ったいかめしい言い方をしたがるところもあるんですけどね。
そこで、このページでは、そんな小難しい、しち面倒くさい法律や裁判のエピソードを、ごくごく分かりやすく、しかも楽しく面白おかしく解説していきたいと思います。いわば、池上さん解説、法律版といったところ。
さあ、みなさん。お上にけむに巻かれないように、お上の思うツボにはまらないように、ちょっと立ち寄ってみて下さい。

◆file.11◆ 「学費を返還しない」という規定はダメ! 2013-01-13

かわいい2012年も押し詰まった12月21日、名古屋地裁で授業料返還に関する判決が出ました。学校法人「モード学園」が運営する専門学校が、入学辞退者に「学費は返さない」という条項を設けているのは不当だとして、この条項を使わないよう求めた訴訟の第一審判決です。

訴えていたのは、消費者契約法の規定で、消費者個人に代わって不当な契約の差し止め訴訟を起こすことができる「適格消費者団体」。

専門学校側は、「入学辞退によって学校に損害が生じるので、理由のいかんにかかわらず返金できない」と主張していました。しかし、判決は、2次募集や欠員募集で「代わりの入学者を確保できるため損害は生じない」と指摘し、この規約には違法性があると判断しました。 クリックして続きを読む

◆file.10◆ 契約が無効になるとき・・・ 2012-10-22

電話 “文殊”には、学費や授業料の返還に関する相談がよく寄せられます。

大学はもちろん、大学院、私立中学、服飾専門学校、看護専門学校などなど。学校の種類や一人ひとりの事情は様々ですが、皆さんに共通するのは、学費や授業料を納めてしまった後、どうしても入学辞退や退学しなければならなくなったので、払い込んだ学費を返還してほしいということ。

でも、言ってみれば、自分の都合で辞めることになったのだから、学校側に授業料を返してくれとはちょっと言いにくい。そんな、ちょっと後ろめたい気持ちをお持ちの方が多いようです。
モンスターペアレンツとかクレーマーのような図々しい神経の持ち主ならいざ知らず、普通の日本人であればちょっとためらってしまう気持ちも分かります。武士道というのもちょっと大げさですが、倫理や信義を重んじ、約束を破ることに大きな抵抗を感じるのが日本人のメンタリティなのでしょう。

るんるん でも、ちょっと考えてみて下さい。 クリックして続きを読む

◆file.9◆ 「カサンドラクロス」を覚えていますか? 2012-09-23

かわいいむかし、「カサンドラ・クロス」と言う映画がありました。

Cassandra2.jpg

列車がこのレールを走り続ければ、深い峡谷にかけられたカサンドラ鉄橋に至る。しかし、その鉄橋は壊れていて、このまま走れば列車は多くの乗客を乗せたまま崖下へと転落する。それが分かっていながら、誰もその列車を止めようとも安全な脇道へそれようともせず、列車は地獄に向かってひたすら走り続けますがく~(落胆した顔)

無論、映画ではそのメインストーリーを軸に様々なサブエピソードがからみ合い、サスペンスを盛り上げます。しかし、まだ十代だった当時の私は、自分たちが破滅への道をひた走っていること分かっていながら、誰ひとりその危機に対処しようとしないという状況そのものが何より恐ろしかった記憶があります。

なぜ、今になってあの映画を思い出したのか。 クリックして続きを読む

◆file.8◆ 最高裁って、意外とヤバイかも! 2012-9-22

今年1月18日と20日、最高裁でよく似た2つの判決が連続して言い渡されました。

ともに、テレビ番組を録画してネットで海外に送ってあげるというITビジネスに対し、テレビ局が
「番組を勝手に録画して送るなんて違法なビジネスはダメ!」
と訴えた事件の上告審。
たかが数人のお客相手の零細ベンチャーとはいえ、ネット全盛の時代を迎えて、テレビ局も黙っているわけにはいかないあせあせ(飛び散る汗)というわけです。

この2つの事件、実は、両方とも知財高裁という著作権のプロの裁判所が、「テレビ局の負け!」と判断していたんです。 クリックして続きを読む

◆file.7b◆ オリジナルか盗作か、どうやって見分けるの?にお答えします。 2012-05-31

ひらめき 著作権の根本になるのは、複製権(著作物をコピーして利用する権利)です。

そのまんまコピー(デッドコピー)は勿論のことですが、元の著作物の一部を「流用」したり「引用」したり「転載」したりすることも、複製権侵害に当たります。
ただ、「引用」については、公正な利用などいくつかの条件を満たせばOKとなりますので、例えばテレビや新聞、雑誌で著作物の一部を使用する場合は、大抵これで逃げているようです。

さて、判断が難しいのは盗作問題です。 クリックして続きを読む

◆file.7a◆ オリジナルか盗作か、どうやって見分けるの? 2012-05-18

exclamation&question【昭和歌謡フリークの方からの御質問】

先ず、以下のyoutubeの映像を見てください。

どこか聞いたことのあるメロディですよね。
そう、天地真理「水色の恋」とソックリです。
ちょっと気になったので、調べてみました。すると、「水色の恋」の作詞作曲に、それぞれスペイン語の名前が出てくるんですよね。 クリックして続きを読む

◆file.6◆ 光市母子殺人事件死刑確定 2012-03-09

2月20日、光市母子殺人事件上告審判決が出ました。

大方の予想通り、死刑。
広島高裁の無期懲役を破棄して差し戻したんですから、当然と言えば当然の結果かも知れません。

母親を殺した上に死体を汚し邪魔な乳児を絞殺するという残虐非道、殺された母子の夫であり父親である男性の悲痛と憤怒、復活の儀式だとかドラえもんだとかおぞましいストーリーを展開した弁護団の信じがたい神経。人々の感情は激しく揺さぶられ、メディアは群がりました。

この日、死刑判決の言い渡しがあったのは午後3時。その直後から、NHKを含む全テレビ局が顔写真入りで、翌日の新聞各紙も一斉に実名報道を開始しました。でも、そんな中でも、在京紙では毎日と東京両紙のみが匿名報道を続けています。
毎日新聞はこの事件を実名で描いたノンフィクション(「福田君を殺して何になる」2009刊)を批判して著者から提訴されたという点を割引くにしても、日頃からメディアのあり方を真摯に模索し続けているこの2紙のみが足並みを揃えなかったのは実に興味深いところです。
マスメディアからネットまで、世の中に元少年の名前も顔写真も溢れている中、敢えて匿名報道を続けることに実質的な意味は何ひとつありません。しかしながら、ドン・キホーテと笑われようとも、自社のジャーナリズムとしての立ち位置と志を頑として曲げない一徹さは特筆に値します。

各大手メディアは、「更生の機会が消え、社会復帰への配慮が必要なくなった」と申し合わせたように理由づけています。
でも、この理由づけって、ホントに根拠はあるのでしょうか?

ちょっと少年法をひも解いてみましょう。
その最終章は、次のような条文となっています。

第61条 家庭裁判所の審判に付された少年又は少年のとき犯した罪により公訴を提起された者については、氏名、年齢、職業、住居、容ぼう等によりその者が当該事件の本人であること推知することができるような記事又は写真を新聞紙その他の出版物に掲載してはならない。

そこには、「更生の可能性」も「社会復帰への配慮」も一切書かれてはいません。一体、各メディアの編集責任者は、一度でもこの条文に目を通したことがあるのでしょうか?
あるはずがありません。メディアの人間は、法律など坊さんのお経ぐらいにしか思っていません。
おそらく、各メディアの社会部デスククラスが非公式に連絡を取り合って、法律にのっとった判断であるかのような言い訳で歩調を揃えたのでしょう。もし問いただしたとしても、きっと歩調を揃えて一斉に否定するでしょうが。
ジャーナリズムとしてのプライドをかけて、実名報道をすべきと考えるなら最初から実名で、さもなくば最後まで匿名で筋を通すべきなのではないでしょうか。その点、毎日と東京の姿勢は際立っています。

でも、メディアの自主規制や横並び報道とは全く別の次元で、私は匿名報道に強い違和感を感じています。
【◆file.2◆ 少年犯罪死刑囚の顔写真】でも書いたように、死刑囚のプライバシーや人権にこだわることに対する違和感です。理由はともあれ、国家による殺人という最大の人権侵害を受けた存在に、今さらプライバシーを声高に叫んで何ほどの意味があるのか。
むしろ、取り返しのつかない罪を犯し、極刑を受けざるを得なかった人間がその罪を犯すに至った背景を受け止め、その顔と名前をしっかりと目に焼き付けておくべきなのではないか。それこそが、死刑制度を続けている国の主権者である私たちの義務なのではないでしょうか。

光市事件で、死刑廃止論のリーダーと言われる安田弁護士が主任弁護人となった大量21人という大弁護団は、「復活の儀式・ドラえもん戦略」で世論を完璧に敵に回し、結果的に一審で無期懲役だった元少年を死刑にしてしまいました。何たる皮肉でしょう。
熱烈な死刑廃止論者でも、ここまで人の心に鈍感な弁護士を支持する人はいないでしょう。今や政界の風雲児となった関西の弁護士市長が、かつてTVでこの弁護士たちの懲戒請求をあおったことも、軽率とはいえ分からないではありません。

今回の最高裁判決では、一人の裁判官が反対意見を述べています。これは、戦後間もない時期を除いて例のない極めて異例の事態とのこと。死刑判決は全員一致によるというのは、最高裁の「鉄の規律」とまで言われていた筈です。
国家が人の命を奪う究極の刑の判断が、全員一致によるものではなかった。この事実は、決して見過ごすわけにはいきません。極刑を選択するには、ほかの刑では決して償えないと誰もが納得するだけの厳密性が要求されるべきであるはずです。

でも、死刑は確定しました。
ならばせめて、私たちは、彼があれほどおぞましい罪を犯した背景を知るべきだと思います。
3年も前に、彼の実名と写真を掲載した「福田君を殺して何になる」。
わざわざ実名をタイトルにするなど、この本の売名的な姿勢は決して好ましいものではありませんが、少なくとも筆者は徒手空拳、必死で取材を敢行して、大手メディアがまったく報道することのなかった彼の生い立ちと人となりに肉薄しています。
また、この本には、「復活の儀式・ドラえもん戦略」に異を唱えて解任された心ある弁護士の手記も掲載されています。

もしも死刑が正義だというのであれば、この確定判決に万歳を叫んだ私たちは、せめてこうした本から、国家によって殺される人間の人物像をしっかりと受け止めるべきなのではないでしょうか。
私たち一人ひとりが「罪と罰」に思いを馳せる機会をもたらしたこと。それは、償いようのない犯罪を犯した人間が、この世に残すことができるたった一つの遺産なのかも知れません。

◆file.5◆ 少年犯罪死刑囚の顔写真 2012-02-28

「フライデー」誌が死刑が確定した元少年の写真と実名を掲載しました。

かつて「フォーカス」誌が、2人の子どもを惨殺したうえ世間をあざける犯行声明を出した14歳の少年の顔写真を掲載したように、社会正義を錦の御旗に、またぞろ俗人の好奇心を刺激する記事を載っけたのだろうと思いました。しかし、その予想は外れていました。

この事件は、1994年、3人の不良少年が各地でリンチを繰り返し、4人の命を次々とを奪ったという悲惨この上ないものでした。報いやあだ討ちの感情の強い普通の日本人なら、このような鬼畜がこの世に存在すること自体が不正義で国家の損失だから、直ちに死刑にすべきだと考えて当然の事件です。
でも、「フライデー」のこの記事に目を通せば、この外面上のストーリーが事実の一断面にしか過ぎないことに気付かされ、事態はまったく異なった様相を見せてきます。
少年時代、無知未熟のゆえに取り返しのつかない罪を犯してしまった男がその罪をあがなうには、国家がその命を奪うしか方法はないのか。人間の叡智は、文化は、死刑以外に、遺族の果てしない恨み喪失感を埋める方法を探し当てることはできないのか。数千年を経ても、人類は、ハンムラビ法典から一歩も踏み出せないのか……。この記事を読んで、そんなことに思いを巡らせない人はいないでしょう。

でも、ひょっとすると、この力のこもったルポルタージュは、対象にのめり込み過ぎてしまった一ジャーナリストの主観・思い込みに過ぎないかも知れません。また、隠しカメラで撮影した死刑囚の大きなまん丸の純朴そうな目は、気が良さそうだとも、無知で愚鈍そうだとも、何も考えてないようだとも、どうとでも解釈することが出来ます。
しかし、この写真とルポルタージュが相まった時にこそ、見る者は根源的な何かを突きつけられるのです。
それはまるで、写真とルポルタージュという2つの表現が相乗的な化学反応を起こしたようなものかも知れません。表現者が、「事実」と「真実」の間に横たわる深い裂け目を乗り越えようと、力の限りを尽くした結果に違いないと思うのです。

これに対し、35歳になった死刑囚の罪は少年時代に犯したものだから写真や実名を掲載するのはいかがなものか、と大メディアを中心に少年法を盾にこの記事に疑問を呈する向きもありますが、いささか当を欠いているのではないでしょうか。ましてや、「少年法の趣旨に反し人権上重大な問題がある」との声明を発表した東京弁護士会の形式的な行動は、完全に的外れというしかありません。
最高裁が「更生の見込みはないから死ね」と最終判断を下したこの青年に、果たして、今更人権などという概念が通用するものかどうか。犯人を殺すのはいいけど写真や実名を出すのは問題だなんて、たちの悪いブラックジョークとしか思えません。

皆さん。もしコンビニでこの雑誌を見つけたら、5分間だけでいいから、ちょっと立ち読みしてみて下さい。そして、人の命について、国家の合法的な殺人について、また死刑でなければ気が済まない、でもそれで癒されることなど決してない遺族の無念について、ちょっと思いを巡らしてみてはいかがでしょうか。

◆file.4c◆ 歌は人類共通の財産……なんだろうな。 2012-02-08

晴れ 替え歌づくりも大変なんですね。思えば、昔はのんびりしてたんだなあ。

そういえば、軍歌と共産主義の応援歌っていえば、「歩兵の本領」と「メーデーの唄」のことを思い出しました。

http://www.youtube.com/watch?v=FJreugfgJUw
http://www.youtube.com/watch?v=WcBZ2RWUbec

「メーデーの唄」は、6・70年代の左翼運動華やかなりし頃のシンボルソングでした。
50代以上の方であれば、「聞け万国の労働者、轟きわたるメーデーの……」という勇壮な歌声を聞けば、きっと感慨深いものがあるでしょう。

るんるん でも、実はこの2つの曲にもさらに元歌があるんですよ。
「アムール川の流血や」というものすごいタイトルの歌なんですが、元をただせば19世紀末頃の旧制第一高等学校(東大予科)の寮歌なんです。

http://duarbo.air-nifty.com/songs/2007/08/post_8ac1.html

歌詞をよくよく読んでみると、帝国主義礼賛も甚だしくて、ちょっとついていけません。
一高寮歌といえば、「ああ玉杯に花受けて」がまっ先に思い浮かびますが、格調は高くとも一般庶民を見下すような歌詞には、やはり権力志向と言うかエリート臭が付きまといます。

紅もゆる1.jpg

一方、三高(京大予科)寮歌となると、有名な「紅もゆる丘
の花」といい、加藤登紀子の歌でヒットした「琵琶湖周航の
歌」といい、叙情味あふれる自由な気風が漂っているように
感じるのは私だけでしょうか。 a

 

 

カメラ=昨年、三高ゆかりの吉田山で撮影

◆file.4b◆ 替え歌は盗作かオリジナルか? 2012-02-07

ひらめき 軍歌と社会主義と運動会応援歌とのトライアングルというのは、なかなか興味深いとらえ方ですね。

日本人の普通の感覚からすれば、社会主義や左翼思想というものは、戦前の軍国主義の対極にあったはずでした。しかし、かの国の「先軍政治」を持ち出すまでもなく、ソビエト赤軍や中国の八路軍を思い浮かべれば、社会主義・共産主義が常に国家主義・軍国主義をともなうのは歴史的必然でもあるのでしょう。
当然です。共産主義革命は独占資本主義=帝国主義体制を転覆するための暴力革命なのですから、新たな体制にはその暴力装置が不可欠になるわけです。ところが、日本の左翼思想は、戦前、共産主義に国家的弾圧を繰り返した帝国主義と、その重要な構成要素であった軍国主義を激しく憎悪しました。そこから日本独自の【左翼=反軍国主義】という概念が生まれたという考え方もあります。
ですから、軍歌と社会主義とのミスマッチ感覚は単なる錯覚に過ぎなくて、実は、両者は根っこのところで実に親和性が高かったのかも知れません。

おっと、ちょっと脱線してしまったようです。
ひらめき 御質問にお答えしましょう。
残念ながら 「日本海軍」の作者は「朝鮮革命軍歌」の作者に、著作権の侵害に対して何らかの手を打つことは不可能です。

北朝鮮の映画を無断でテレビで使用され著作権を侵害されたとして日本テレビとフジテレビが訴えられた事件がありました。去年の12月、最高裁は、一審二審に続き、「国家として承認していない北朝鮮の著作物の保護義務はない」として原告の請求をすべて退けたのです。
実は、北朝鮮は著作権を保護する条約に加盟しており、原告は「加盟国同士だから、日本でも北朝鮮著作物の保護義務がある」と主張していました。条約加盟国間では、「内国民待遇」と言って、相手国の国民と同じ権利が与えられることになります。したがって、北朝鮮の著作物も、日本の著作権法で保護されるという主張も一理あります。

しかし、ご存じのように、日本は北朝鮮を国家として認めていません。未承認国が条約の一員になったからと言って国家として承認したことにはならず、したがって未承認国の国民の権利を認めることは出来ない、というのが裁判所の判断の根拠でした。

となれば、逆に北朝鮮が「日本海軍」を元歌にして「朝鮮革命軍歌」を作ったとしても、日本の著作権者は文句を言えないということになります。北朝鮮側も、日本を国家として認めていないからです。
以上、この最高裁の判断からすれば、ご質問のように、日本の誰かが北朝鮮の曲に勝手に歌詞をつけてCDを出しても違法とはならないでしょう。

ただし、これは、あくまで日本の法律をベースにした考え方に過ぎません。あのお国でも、はたして日本と同じような考え方を取ってくれるのかどうか。
同じ条約の加盟国でも、国交のない国同士では条約の規定は通用しない、つまりそれぞれの国の法律に従う、ということは……。
もし北朝鮮の法律で、著作権を侵害した者は死刑(!)とでも規定されていたらどうなるのか?
あまり想像したくありませんね。いずれにしても、北朝鮮の曲に勝手に歌詞をつけてCDを出すのはやめておいた方が無難でしょう。

ひらめき もう一つのご質問、小学校の運動会の応援歌として児童たちにおおっぴらに歌わせることが可能かは、ちょっと微妙です。
基本的に教育の現場では許可なく著作物を使えるのですが、今回のように替え唄として内容を変えて使うことまでは認められていません。ただ、元歌とはまったく違う歌詞をオリジナルで作ったのならば、逆に作詞者の権利は及ばなくなります。歌詞とメロディとはそれぞれ独立した別の著作物とされているので、この場合、メロディだけをそのまま使用してオリジナルの詞を付けたと考えれば、自由に上演・演奏できる可能性は高いのではないでしょうか。

ちなみに、替え唄というのは、なかなか難しい問題をはらんでいます。
ちょっと難しく言えば、一つは財産権としての翻案権の侵害、もう一つは人格権としての同一性保おふくろ.jpg持権の侵害の可能性です。
森進一が名曲「おふくろさん」の歌詞をちょっと変えて歌ったことが、作詞した川内康範の逆鱗に触れたことは記憶に新しいでしょう。その後、川内さんは亡くなりましたが、その著作権は死後50年間残ります。つまり、もし歌詞を一部変更して歌いたいなら、50年間は、川内さんの相続人にその許可を得なければならないのです。
同様に、テレビでタレントが替え歌を歌うような場合には、元の詞をベースにするなら作詞家から変更のOKをもらっておかなければなりません。ちなみに、「替え唄メドレー」シリーズで有名な嘉門達夫の場合、作曲家・作詞家・歌手らすべてから許可を取っているとのことです。

(写真はビクターレコードジャケットより引用)

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