むかし、「カサンドラ・クロス」と言う映画がありました。
列車がこのレールを走り続ければ、深い峡谷にかけられたカサンドラ鉄橋に至る。しかし、その鉄橋は壊れていて、このまま走れば列車は多くの乗客を乗せたまま崖下へと転落する。それが分かっていながら、誰もその列車を止めようとも安全な脇道へそれようともせず、列車は地獄に向かってひたすら走り続けます
無論、映画ではそのメインストーリーを軸に様々なサブエピソードがからみ合い、サスペンスを盛り上げます。しかし、まだ十代だった当時の私は、自分たちが破滅への道をひた走っていること分かっていながら、誰ひとりその危機に対処しようとしないという状況そのものが何より恐ろしかった記憶があります。
なぜ、今になってあの映画を思い出したのか。
あの列車は、危機的状況にある今の日本と言う国家そのものなんじゃないか。ふと、そんな思いにとらわれてしまったのです。
少子高齢化産業空洞化がさらに進み、年金制度は確実に破たん、生活保護世帯が激増、このままいけば国家財政が崩壊し国そのものが成り立たなくなることは火を見るよりも明らかです。
公的な研究機関の推計によれば、日本の人口は50年後に現在の6割に減少、年齢構成は極端な逆ピラミッド形になり、高齢者1人を現役1人で支える事態に陥ります。さらに22世紀に入る頃には、総人口は4000万人と現在の30%になってしまうのだとか
とすれば、少しでも早くカサンドラ鉄橋を回避するレールを敷いてポイントを切り換え、破滅を回避しなければならない筈です。それも、消費税を上げて当面の財政再建を目指すというような小手先の対症療法ではなく、日本という国がかかえる病巣そのものをえぐり取るような根本治療が必要です。
少しでも時間があるうちに手を打たなければ、破滅は回避できない。国家的事業として出生率の上昇に取り組み少子高齢化にブレーキをかけることは、フランスの例を見ても可能な筈なのですから。
そんな50年先100年先を見据えた抜本的な改革に舵を切らなければいけないのに、政治家(=日本国民)は、誰ひとり行動を起こそうとしません
問題は、破滅までにはまだもう少し時間があることなのでしょう。
「喫緊の課題」などとお決まりの掛け声は勇ましいけれど、それを語る政治家の顔には、日本の将来を見据えた危機感も切迫感もまったく見えません
かつて国づくりの使命に燃えていた官僚たちの志も、今やすっかり衰えてしまったように見えます。国家百年の大計だの憂国だの、前近代的ではあるにしても、命がけで取り組む志を持っていた筈の政治家・官僚たちは、昭和から平成に至るどこかで道を踏み誤り、将来の深刻さを現実のものと見る想像力を喪って、すっかりタガを外してしまったように思えます
子や孫の世代にツケを残さない……。彼らは、口先ではもっともらしいことを言いながら、次から次、ツケの上にツケを塗り重ねていくばかりです
明日の国家設計は票にならないけど、今日のバラマキは票になる。領土問題を勇ましげに語れば、今日のマッチョたちが歓声を上げる。すべてが、今日今日今日。
自民党の総裁候補5人は、口を揃えて憲法改正を語っています。でも、日本という国家の規範として公権力を律し、十分に機能してきた憲法を改正することが、果たして日本の将来像を設計することよりも大事なことなのでしょうか。破滅へと続く鉄路の軌道を切り換えるという視点を揺るがせにしないで、明日の明確なビジョンを語り実行する政治家が登場することは、もうないのでしょうか。
やるべきことをやらなかった結果、取り返しのつかない事態に陥る。
法律用語で言うと、これは不作為というれっきとした犯罪となります。しかし、50年後100年後、本当に取り返しのつかない事態に立ち至った時、「不作為の罪」を問われなければいけない私たち現代人は、もうとっくの昔に存在しない。私たちの将来の息子たち娘たちは、そんな先人たちのあり様に、一体どんな思いを抱くのでしょうか
画像は、映画「カサンドラクロス」から引用
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