何でもビジネス (page 1 of 3)

「かぶりつき人生」に見る新規事業開拓

今回は、神成辰巳監督のデビュー作である「かぶりつき人生」(1968年)です。

先ずはあらすじから。

名古屋に暮らす洋子(殿岡ハツエ)はストリッパーの母笑子(丹羽志津)が、旅館のオーナーである勝チンと結婚するとの連絡を受け大阪に駆けつけた。親子水入らずで暮らすつもりであったが、勝チンの旅館は名ばかりのボロ屋で別れたはずの女が別の男と居座っており、旅館の名義もその女の名義であった。笑子は夫の勝チンと共に田舎回りに出て行った。その間、洋子は射的小屋で働き始めたが、笑子が余呉(滋賀県)で公然わいせつの現行犯で警察に捕まった。金のない勝チンはから保釈金の用立てを頼まれ、洋子は喫茶店で働かざるを得なくなった。

洋子は、笑子と勝チンの生活に幻滅を感じ、自身もストリッパーになった。洋子の舞台は、場末の小屋で踊る笑子とは違って、名古屋の一流の劇場だった。若い洋子は次第に客の人気を集めてきたが、更にスターになるため演出家の倉さんと関係を持った。洋子は、舞台を見に来ていたファンの少女に舗道でつき飛ばされ、車にはねられて入院した。

洋子を見舞いに来た芸能記者の坂本っちゃんから、この事件を記事にするとの申し出があったが、洋子は坂本に、自身の初恋の男(名古屋にいる住友のエリート社員)のことを書いて欲しいと頼んだ。この初恋の男が記事を見て自身を訪ねてくれるのではとの期待感からであった。

その後、洋子はピンク映画の女優になり、坂本と結婚したが坂本がヒモのような存在になっており、自身が笑子と同じ轍を踏んでいることに嫌気がさしていた。洋子は出会った若い布団屋に坂本を殺して欲しいと頼んだ。布団屋は洋子の甘い言葉にその気になり、坂本を殺すと約束した。しかし、実際に殺人する段になって布団屋はビビッてしまい洋子も本気で坂本を殺すことまでは考えていなかった。

そうこうするうちに坂本が週刊誌に書いた記事を読んだ洋子の初恋の男が現れたが、洋子の態度は週刊誌の記事とは異なり冷たいものであったため怒り、短刀で洋子を刺し、暴れ回って警官に射たれた。洋子と男は生命に別状はなく、救急車で病院に運ばれた。救急車の中で洋子は、この男と一緒に飲み屋を始めて暮らそうと考えていた。

  • とまぁ、くだらない内容と言えばその通りではありますが、笑子の生き方を嫌っていた洋子が、結果的に笑子と同じような人生を歩んでいくことに見せ場があるのかも知れません。この映画はストリップ・ヌードを題材にしているだけで、「濡れ場」は無くポルノ映画ではありませんので妙な期待はしないように。尚、男性陣は全員がヒモでどうしようもない奴ばかりなのですが、皆、大阪弁でどこか憎めないところがあります。
  • さて、これを読んで映画を見てみようと言う人はあまりいないかも知れませんが、重要な場面があります。
    それは、笑子と勝チンがドサ周りしている際になじみの城崎のヌード劇場を訪問するくだりです。ヌード劇場の女主人は年増の笑子がストリップだけではやっていけないと判断してこのままでは出演契約しないと伝え、店の若い女の子とのレズビアンショウをやるなら契約する旨を伝える。これに対して笑子は、新たな趣向をこらしたストリップを別のヌード劇場で披露するというものです。
  • アインシュタインは、
    「Insanity is doing the same thing over and over and expecting different results.」
    「 狂気とは、同じこと繰り返して異なる結果を期待することである。」と言っていますが、21世紀では
    「Insanity is doing the same thing over and over and expecting same results.」
    「 狂気とは、同じこと繰り返して同じ結果を期待することである。」と置き換えるべきでしょう。
    実際に笑子は毎年同じストリップショーで城崎のヌード劇場に出演していた訳ですが、女主人から「ストリップしかやらないのであれば今後出演契約しない」と言われてしまいます。同等もしくはそれ以上のパフォーマンスを上げるには、今後、中年になってしまった自身に対する需要動向を研究して新たな事業にチャレンジしていくことが必要でしょう。
  • 私のお手伝いしている先(一般消費物資の販売、飲食など)においてもコロナが収束したのに客足が戻ってこないとの声を聴きます。コロナの感染者数はコロナ前と同水準にまで減少したものの、一般顧客の消費性向が変わってしまったため、コロナ前と同じではなく、新たな取り組みの実施をお勧めしています。個々の企業様毎にターゲットとする客層やその動向は異なりますが、インバウンドやインスタグラム・TIKTOKからのECショップへの誘導などをヒントに各社独自のビジネスモデルを作って検討していければ…と思います。
  • さて、本作品は1968年の作品なのでGS関連曲の登場を期待していたのですが、タイトルの曲はボサノバ(当時は、フランシスレイの男と女の影響からかボサノバが流行っていた。*)で、笑子のストリップの場面は水前寺清子の「いっぽんどっこの歌」や緑川アコの「夢は夜ひらく」みたいな曲ばかりで、その点については期待外れでした。水前寺は日本クラウン所属で同社はGSにあまり力を入れていないかった(クラウンで一番売れたのがザジェノバの「サハリンの灯は消えず」だったと思います)ので、GS系の曲は殆どありません。その中で、「神様の恋人**」は作曲が鈴木邦彦であり、ほんの僅かですがGSフレーバーが有るので興味のある方は聴いてみてください。

*当時の和性ボサノバのヒット曲は「白い波」(ユキとヒデ=ヒデとロザンナの前身)
ヒデとロザンナ ~ 白い波 ~   和製ボッサ最高峰 nabe-sada! (youtube.com)
「髪が揺れている」(久美かおり)
久美かおり / 髪がゆれている Kaori Kumi / Kami ga Yureteiru ( Hair is shaking ) (youtube.com) 等。

** 神様の恋人 
神様の恋人 (youtube.com)

「動乱」からダイハツ不正問題を読み解く!

今回は高倉健・吉永小百合の初共演となる1980年作品の「動乱」(1980年)を取りあげます。この映画は「海峡を渡る愛」と「雪降り止まず」の2部からなる長編で二・二六事件に関わる壮大なテーマを取り上げています。先ずは「海峡を渡る愛」のあらすじから。

宮城啓介は陸軍の中隊長であるが自身の隊の溝口英雄(永島敏行)が隊を脱走する。溝口は姉の薫(吉永小百合)が女郎に売られるのを知ったことが脱走の動機であった。溝口は実家で張り込んでいた宮城の軍隊に捕まり軍曹の原田(小林稔侍)から自決を迫られるが逆に原田を射殺する。溝口は軍法会議で銃殺刑に処される。
その後、溝口の実家を訪ねた宮城は薫が女衒に連れて行かれるところに出くわし、薫に金の入った封筒を手渡す。隊から脱走兵を出した責任により宮城は満鮮国境に飛ばされる。その隊での懇親会で女郎になっている薫と再開する。薫は職業柄、艶めかしく宮城を誘うが、宮城は誘いに乗るようなことはしない。
隊に出入りしている朴(左とん平)は、女を世話する便利屋であるが、軍の武器弾薬や医薬品を横流ししているところを宮城に取り抑えられる。この横流しのため、最前線では武器弾薬・医薬品が不足しており、まともな戦闘や負傷兵の治療もできない状況であった。
宮城は朴の告発を要求するが、朴と通じている上司の小林少佐(岸田森)の反対にあう。一方、薫は自殺を図るが家族の借金の返済義務を負っている女郎に取って自殺は御法度であり、雪の荒野に投げ出される。小林から薫の救出と引き換えに朴の告訴取り下げを提案された宮城は、やむを得ず同意するが、軍の腐敗した体質に怒りをにじませる。

次に「雪降り止まず」です。
東京に戻った宮城と薫は居を構えて同居するが、隣には宮城を危険人物として見張る憲兵の島(米倉斉加年)が住み込んでいる。
宮城は薫を誘って鳥取に旅行する。敬愛する狂信的な軍の改革主義者で皇道派の一員である神崎中佐(田宮高廣)に会うためであった。神崎は、対立する統制派で軍務局長である水沼少将を軍の腐敗の根源と捉えておりその暗殺を計画していた。宮城は神崎に続き皇道派の決起を誓うのであった。薫は自身の身体に触れようとしない宮城に別れを切り出すが、「そばにいて欲しい」との宮城の言葉に同居を継続する。
神崎中佐は水沼少将惨殺を実行し、宮城は共犯の容疑で憲兵隊に連行され尋問を受ける。憲兵隊トップの広津少将(佐藤慶)は、宮城の殺害をほのめかし、憲兵の島は宮城に毒入りの茶を呑ませる。釈放された宮城は自宅で昏睡状態になるが、島が内密に差し入れた薬により、回復する。そして皇道派の青年将校の議論の中で、宮城は決起を決断し、その晩はじめて薫を抱く。
2月26日早朝、宮城以下青年将校は各連隊の兵を動員して岡田啓介首相以下重鎮の殺傷を実行する。一時は決起の主旨が天皇陛下に伝わったと喜んだ青年将校であったが、実際には天皇は自身の部下を殺害した青年将校に激怒し、自ら部隊を率いて鎮圧を主張する。これにより決起した各連隊は原隊復帰せざるを得ず、青年将校たちは逮捕される。裁判の結果、宮城は死刑の判決を受け処刑される。

と、壮大なストーリーとなっています。ここまで読んでいただいた方には大変申し訳ないのですが、実は内容的には薄っぺらい映画で画面に「健さん・小百合さんが出ているだけで満足」という方以外にはお勧め出来ません。何より、事件の直前の皇道派、統制派の対立には複雑な事情があったにも関わらず、統制派の水沼軍務局長(実際の人物は永田鉄山軍務局長)が皇道派トップの真崎教育総監を罷免したこともあって軍の腐敗の象徴とし,ており、神崎(実際は相沢三郎中佐)が水沼を殺害することで問題が解決されるとする根拠が不明です。更に歴史上は直情型と認識されている相沢を冷静な宮城が敬愛するに至った経緯も判りません。憲兵の島は、宮城に毒を盛りながら薬を提供する等、宮城のシンパを演じており、映画全般を通して皇道派青年将校の思想・行動に賛同する内容となっています。
歴史的には諸説あるものの「力により体制を変えようとする」青年将校の決起は許されるものではなく、また、青年将校達はエリートで当時フランス料理店である龍土軒(今も西麻布で営業しています)で会合を重ねていた(高価なフランス料理を食べながらという訳ではなかったらしいが)訳ですから、決起の目的が貧しい農民の救済と言ってもにわかに信じがたく、軍内部派閥の勢力争いに軍を動かしたと位置づけるのが妥当ではないかと思われます。
更に、葉子(桜田淳子)は決起直前に将校の一人である野上(にしきのあきら)と結婚を約束しており、事件後に一人残された彼女の運命は悲惨なものであったと推察されます(青年将校の配偶者の状況は「妻たちの二・二六事件」澤地久枝に詳しく書かれています)。この様に愛する女性の運命を悲惨なものにすることについて配慮しない人間性に欠ける思想・行為を支持するかのような映画の内容(しかも女性の人格尊重が当たり前になってきた1980年に公開)というのはかなり違和感を覚えます。健さんが小百合さんをはじめて抱いたのも決起を決めた夜でした。
とは言え健さんが出演する以上、健さんを悪者にするわけには行かず、この映画関係者が皇道派=善、統制派・現体制=悪としたいのであれば、永田鉄山少将は金子信夫、岡田啓介首相は安部徹など、ちゃんとした悪役を配置して欲しかったです。となると、二・二六事件は健さんによる岡田一家への殴り込みとなり東映やくざ映画と同じになってしまいますが、さすがに歴史認識としては如何なものかと思います。そもそも銃を持っている相手にドス一つで殴り込むところにカッコよさがあるのに、素手の相手を剣で切ったり、就寝中の相手に銃をぶっ放すのは健さんの美学に反しており、やはり違和感を覚えます。

さて、 二・二六 事件に触れるときりがないので、この映画のポイントに移ります。
ポイントは朴が武器弾薬・医薬品の軍事物資を横流しする場面です。この場面についても映画では実際にどの様にして横流ししたのか詳細に説明されておらず不満の残るところです。軍事物資が「天皇陛下からお預かりしたもの」ですから弾丸の一個でも不足したら大変なことになる筈です。それがどうしてやすやすと横流しできたのでしょうか?
山本七平によれば軍の「員数主義」が原因とのことです。軍事物資の在庫については、帳簿上の残高と実際の有り高の一致を確認していたと思われますが、横流しによって有り高が少なくなっているのに、問題にならないためには帳簿上の残高を改ざんする以外ありません。上司としても自身の責任を問われかねないので、問題が公になるのを惧れ、改ざんを黙認していたのではないかと思われます。
この様に数字を合わせるためには、帳簿の改ざんをやむなしとするのが「員数主義」と言えます。この考え方が数十年に亘り日本の企業に受け継がれてきた向きがあります。今回発覚したダイハツの不正についても上層部からのプレッシャーによって、ルール通りやっていては高いノルマを達成出来ないが未達成が許されないため、ルールの逸脱、記録の改ざんによって達成を報告する他なかったのではないかと思われます。
今回の事件は第三者委員会によって「現場だけではなくプレッシャーをかけた上層部にも責任あり」との報告が出されている様なので、役員は「知らなかった」で現場に責任を押し付けて逃げる訳には行かないと思います。特に大株主であるトヨタ自動車の監査体制やダイハツ株の買収の際のDue Diligenceの内容はどうだったのか気になるところです。ダイハツの操業停止によってダイハツ車の所有者や従業員だけでなく、部品の納入業者が納品できなくなって資金繰りに支障をきたす可能性があり、納入業者や下請け加工業者に及ぼす影響についても配慮して欲しいものです。

さてこのコラムはGSネタで締めくくることとしていますが、今回は若くして非国民の未亡人となってしまう桜田淳子を取り上げたいと思います。昭和33年生まれの桜田はGS世代とは言えませんが、昭和47年8月のスター誕生のオーディションで牧葉ユミの「見知らぬ世界」を歌っています。「見知らぬ世界」の作詞・作曲者である植田嘉靖(作詞家としてのペンネームは「こうじはるか」)は1967年にGSとしてデビューする前のスイングウエストのリードギタリストで、スイングウエストの代表曲である「雨のバラード」、「涙のひとしづく」は植田のペンによるものです。当時14歳の桜田が殆どヒットしなかった、少し大人びたこの曲を選んだ理由は不明ですが、驚くべきは昭和47年12月のスター誕生のオーデションで山口百恵が同じ牧葉ユミの「回転木馬」(作詞片桐和子、作曲ベンチャーズ)を歌っていることです。牧葉ユミは「冒険」の小ヒットはありましたが、それほど知られた存在ではなく、百恵はオーデションの段階で既に淳子をライバルとして意識していたのか、はたまた、偶然に同じ歌手の曲を選んだのか、歌謡界の大きな不思議と言えましょう。
尚、相方のにしきのあきらは昭和45年デビューで既にGS時代は終焉していますが、デビューLPにてスパイダースの「夕陽が泣いている」(作詞・作曲;浜口庫之助)をカバーしています。これはにしきのが浜口庫之助のお弟子さんであるためと思われますが、残念ながらアレンジにGS色は全くありません。

仁義なき戦い(完結編)に見る日本経済再生への道

お待たせしましたっ! ついに「仁義なき戦い」の登場です。但し、ちょっとおまけの様な「完結編」です。全5作の中で私が好きなのは「広島死闘編」と「頂上作戦」なのですが、これを書いてしまうと28ページを遥かに超過する大作になりそうで「娘の夫の長い文書」の様に「あれを読んでどれくらいの人が理解できるか」とやんごとない方から不評をかってしまいそうなので、今回は「完結編」を手短に纏めたいと思います。

さて、例によってあらすじから・・・
第4作「頂上作戦」での山守組と打本会・広能組連合との抗争は、双方の幹部の一斉検挙により表向きは終息した。打本会は解散し広能組組長の広能昌三(菅原文太)は網走刑務所に収監される。

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同時に逮捕された山森組幹部武田明(小林旭)は広能よりも先に出所し、暴力団に対する市民社会からの批判をかわすために政治結社「天政会」を結成し、広島の暴力団の取り纏めを図った。とは言え、従来の暴力団組織では最早やっていけないとする知性派の武田と、旧来からの武闘派である副会長の大友勝利(宍戸錠)や早川秀男(織本純吉)とはそりが合わず、会は決して一枚岩ではなかった。同じく武闘派の江田省三(山城新伍)は、武田には頭が上がらないと思ったのか、武田側に留まった。この様な状況の中、天政会に反旗を翻す広能の兄弟分の市岡輝吉(松方弘樹)が、天政会幹部の杉田佐吉(鈴木康弘)を殺害する。この事件への対応について、武田と大友は真っ向から対立する。

そんな中、武田が県警に逮捕されたため、松村保(北大路欣也)が会長となるが、これを良しとしない大友は松村の殺害を企てるが失敗に終わる。これを機に松村と大友の中は決定的になり、大友はなんと仇敵であったはずの市岡と義兄弟の盃を交わす。これに怒った松村は市岡を殺害、大友は県警に逮捕されてしまう。また、早川は引退に追いこまれる。更に、広能が服役で留守の間に広能組の組員が槇原組長の槇原政吉(田中邦衛)を射殺する。と言うことで、一旦平穏に戻ったかに見えた広島はまたもや抗争の場になってしまう。

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そうこうする内に武田が出所し、松村は会長の座を武田に譲るが、出所してくる広能への対応を巡って、武田と松村の意見が対立。武田は広能とは以前より抗争の相手であったが、個人的には広能を評価しており何とか穏便にしたいと考えており、広能の出所に際して出迎えに行く。武田は広能に引退を迫るが、広能はこれを拒絶する。松村以下多数は広能に対して強硬な措置を主張しており、結果として武田は天政会の中で孤立し引退を余儀なくされて、松村が再び会長となる。松村は、反松村派が広能を担いで勢力を拡大することを懸念し、広能組の組員を天政会で面倒を見ることを条件に広能に引退を迫った。

松村は会長就任のあいさつ回りのために大阪に出向いた際に、早川組組員から襲撃される。側近の江田は死亡し、松村は瀕死の重傷を負う。松村はそんな状態にもかかわらず会長襲名披露を無事に成し遂げる。広能は表舞台から去ることを決め、組員を天政会に預けることに同意し引退する。
そこに広能組の天政会参加を知った槇原組組員が広能組の若手を襲撃して死亡させ、新たな抗争が始まる。広能は自身が若かった頃の暴走行為を今は若い者がやっており、それを抑制できなくなったことに時代を感じるのであった。

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とまぁ、相変わらず抗争と暴力全開の映画です。仁義なき戦い全編に言えることですが、出演しているキャストの顔ぶれの豪華なこと!第4作の頂上作戦以前までは、このメンバーに加えて、梅宮辰夫(明石組 岩井信一他)、成田樹夫(松永弘)、千葉真一(若い時の大友勝利)、小池朝雄(義西会 岡島友次等)等、一流スターたちが目白押しです。
一方、高倉健、鶴田浩二、池辺良、安部徹など仁義・任侠系のベテランスター達は出演しておらず、仁義なき戦いシリーズによって東映のやくざ路線が大きく変貌を遂げたといえるでしょう。
尚、ついでですが、天政会の本部は京都の五条大橋の西側のバイク専門店「ドリームロード」、天政会が行進するのは堀川通です。また、太秦の河端病院は何度も登場していますが、残念ながら3年ほど前に移転し、現在は駐車場になっています。
その中で、この完結編は広能、武田、大友などそれまでの主人公たちが現役を引退、江田、槇原が殺害され、松村の様な若手にとって代わられる展開となっており、過去の4作に比べると時代の変遷と言うかどこか物寂しさが漂っています。
とは言え、見どころは満載です。市岡の狂気に満ちた目付き※、梅毒に侵されて正常な判断が出来なくなった大友のハチャメチャな行動(尤も、広島死闘編での千葉真一が演ずる大友※※も相当常軌を逸していましたが)、武田から一緒に飲もうと誘われて「そっちとは飲まん。死んだもんにすまんけぇのぉ」と言う広能のカッコよさ等、書き出せばきりがないのですが、それにしても重症の中会長襲名披露を勤め上げる松村にはド迫力があり、若干疲れの見えた武田や広能との世代交代を強く印象付けています。

そんな中で、ここでは大友勝利の名言(珍言)にスポットを当てたいと思います。大友が泥酔して市岡に対して発する「牛のクソにも段々があるんで」というものです。目まぐるしく展開するストーリーについて行けない観客もこのセリフには圧倒されて忘れることが出来ずに映画館を後にしたのではないかと思います。
この意味するところですが「物事には配列や順序がある」と言う、大友にしては意外にまともな発言でした。ビジネスの現場においては、重要な交渉の席に部長を同伴して出向いたところ、相手企業の出席者が係長レベルだった時や、相手側が打合せの冒頭からいきなり無理な要求を切り出した時などに使って頂きたい言葉です。※※※
尚、筆者が小学生だった昭和40年頃は、まだ牛を飼っている農家があり、通学路に牛の糞が落ちており、確かに段々がありました。誤って牛の糞を踏んづけると笑い者にされると言われて気を付けて歩いたものです。

さて、ここで牛のクソに言及するのは大きな理由があります。それは、バブル崩壊後の日本経済の低迷の大きな要因となっているからです。今更ですが、日本経済の低迷はイノベーションの欠落と生産性の低さに起因します。ちなみに日本の生産性はG7の中の最下位で、米国の60%程度だそうです。

米国の経済学者であるDavid Graeberは無意味で不必要で有害であるにも関わらず給与が支払われている業務を”Bullshit Jobs”(牛のクソ業務)としています。彼によると、Bullshit業務は以下に分類されます;

① 誰かに偉そうな気分を味合わせるためだけの取り巻き
例:受付係
② 雇用主のために他人を脅迫したり欺いたりする脅し屋
 例:ロビイスト、顧問弁護士
③ 誰かの欠陥を取り繕う尻ぬぐい
 例:バグだらけのコードを修正するプログラマー
④ 誰も読まない書類を延々と作成する書類穴埋め人
 例:コンサルタント
⑤ 人に仕事を割り振るだけの中間管理職

如何でしょうか? 日本企業の典型的な問題点を指摘されているような気がしてなりません。

③はあまりピンと来ないですが、②は何となく判る様な気がします。①、④、⑤は、ホントにそのものずばりですね。
①については、確かにアポイント先でステキなお嬢さんに「いらっしゃいませ。お待ちしておりました」と言われると気分が悪い筈はないですが・・。
もっと大きな問題は会議だと思います。偉い人は自身が招集する会議に多数を出席させ、自身の考えを延々と披露するのを好みます。これで自身の力を誇示しているんでしょうね。勿論、急用(や休養)で欠席すると怒りまくるので、無駄と思いつつも出席せざるを得ません。でも、自分の考えなんかは前の晩にメールで配信すれば事足りるので、会議では本当に話し合うべきことだけを要領よく議論し、決めればそれで済みます。こうやって、本来付加価値を生み出すべき社員の時間が無駄にされてしまいます。 
④については稟議に諮る資料です。役員クラスは目が悪くなって、また、終日多数の決裁事項に疲れているので、「・・・で、どういうことなんだ?」だけで判断して、多数の部下が徹夜状態で作成した細かい資料まで見てないのではないかと思われます。
尚、この④については我々コンサルタントも反省すべき点は大いにあります。コンサルタントは月額で報酬を貰うわけですから、見合うだけの仕事がなければ契約解除か報酬減額になります。そこで、そうならない様に、本来1ページで事足りる内容なのに資料を10ページにも膨らませて、仕事をやっている感を出す傾向にあります。企業の皆さん、コンサルタントには十分気を付けてくださいね。あっ、私は決してそんなことはしませんから安心してご依頼ください。
⑤については、日本ではおなじみの中間管理職の皆さんです。部長代理さん、次長さんは自分の仕事が何かの役に立っているか、真剣に考えてみたほうが良いのでは???
これについては、「八甲田山と組織の統制について」(2020年7月)で詳しく述べていますので、ぜひご一読を。

映画「八甲田山」と組織統制

と、またまた長くなってしまいましたが、日本経済は牛のクソ仕事に時間や賃金を費やしているような余裕はもはやありません。特に問題は、この様な仕事の従事者の多くがホワイトカラーで比較的高い賃金を享受していることです。これを実際の生産活動に従事し付加価値の創造に貢献している従業員に配分することで、公正な分配と格差の是正になるのではと愚考する次第です。

と言うところで、最後はクソを題材にした歌謡曲を探してみました。有名な曲しか思い浮かばなかったのですが、先ずは吉永小百合さんの「奈良の春日野」の「ふんふんふん、黒豆や♪」です。これは、昭和40年に発売された「天満橋から」のB面で、昭和62年に明石家さんまがオレたちひょうきん族で紹介したことより大きな話題となりました。「天満橋から」は同年の紅白で可憐な振り袖姿で歌っていましたが、こちらも歌詞は何を言いたいのか判らず意味不明です。作詞した佐伯孝夫さんは「いつでも夢を」や「有楽町で逢いましょう」などの大作詞家ですが、ときおりおちゃめな曲を手掛けられていたようです※※※※。

もう一つは、これも有名なダウンタウンブギウギバンドの「スモーキン・ブギ」(昭和50年)ですが、当時の大アイドルであった山口百恵さんがテレビで「クソして一服」と歌っていたのが印象的でした。

※ 松方弘樹は、仁義なき戦いシリーズに三回、それぞれ異なる役で出演しており、全てにおいて殺害されています。第1作の子供のためにと立ち寄る玩具屋で射殺される坂井鉄也が最も高い評価を受けているようですが、本作の市岡の狂気の目つきにも強く引き付けられます。

※※ 千葉真一演じる「広島死闘編」での大友勝利は兎に角ハチャメチャなのですが、彼の発言の中には映画を見たもの全員の脳裏から離れない言葉があります。・・が、それをここに書いてしまうと倫理上の問題からこのコラムが公開禁止になりそうなので、残念ながらご紹介できません。ご興味のある方は、ぜひ、ビデオで確認してみてください。

※※※ これと並ぶ印象深い言葉に、「頂上作戦」でげんこつラッパ先生(義西会会長岡島友次の小学校時代の恩師)が、昔の生徒たちに持ち上げられた際に照れて発する「顔に電気がつくわい」があります。これは、部下や取引先から「さすが、課長。お目が高いですね!」とか褒められた時に使用したいものです。

※※※※ 佐伯孝夫センセイがGSに提供した曲にはザ・ジャイアンツの「スケート野郎」ザ・ジャイアンツ – スケート野郎 – ニコニコ動画 (nicovideo.jp) があります。ザ・ジャイアンツは「ケメコの唄」を発表しましたが、ザ・ダーツの同じ曲が大ヒットしたのに対して全く話題にならなかった泡沫GSです。

                                  

                                   (2022年1月)

「七つの会議」・・・・不祥事は組織の宿命なのか?

ゴールデンウィークですが緊急事態宣言下、外出もままならず暇に任せて新作をお届けします。今回は、池井戸潤の小説を映画化した「七つの会議」(2019年公開)を取り上げます。先ずはあらすじから。

東京建電は日本有数の電機メーカー「ゼノックス」の子会社で、金属器具の製造・販売を主な業務としている。主なメンバーは、社長の宮野(橋爪功)、ゼノックスから出向中の副社長の村西(世良公則)、出世が全ての営業部長の北川(香川照之)、営業一課長の坂戸(片岡愛之助)、営業二課長の原島(及川光博)である。また、営業一課には、北川の同期でぐうたら社員の八角(野村萬斎)が所属している。 クリックして続きを読む

「キングコング対ゴジラ」‥‥60年後の2021年を予見していた怪獣映画!

筆者の体調が回復してきたこともあり、立て続けになりますが新作を発表させて頂きます。

今回は、1962年の東宝の怪獣映画「キングコング対ゴジラ」を取り上げます。
例によってあらすじから。
大手製薬会社であるパシフィック製薬は、「世界の驚異シリーズ」と言うテレビ番組のスポンサーであるが、視聴率は低迷している。同社の宣伝部長である多古(有島一郎)は、社長から視聴率向上の厳命を受け、 クリックして続きを読む

「紙の月」‥‥なぜ人は不正に手を染めるのか?

今回は、「紙の月」を取り上げます。この映画は2014年制作とこのコラムとしては、ずいぶん新しいものになります。先ずはストーリーから。

とある銀行の支店に勤務する梨花(宮沢りえ)は、サラリーマンの夫である正文(田辺誠一)と2人で暮らす平凡な主婦。梨花の同僚には、若くて調子のよい相川(大島優子)、支店勤務25年のお局さんで何かにつけうるさい隅(小林聡美)、無能な支店次長の井上(近藤芳正)等がいる。正文は仕事が多忙で、梨花との家庭内の会話は途絶えがちであった。そんな中、梨花は銀行の顧客で気難しい老人の平林(石橋蓮司)宅を訪問した後、お茶を入れようとした台所で孫の光太(池松壮亮)と出会う。 クリックして続きを読む

「修羅雪姫」~無情の復讐劇から企業のリスク管理を読み解く!

今回は、梶芽衣子「修羅雪姫」を取り上げます。1973年に封切りされた映画で、初めて見たのは、当時、私が住んでいた京都の下宿の近くに京一会館と言う邦画専門の映画館だったと思います。
今まで、八甲田山とか白い巨塔とか所謂大作を取り上げてきたので、興味を持って頂いた方も多少はいたかも知れませんが、今回は多少マニアックな作品(私の中では、かなりの名作なんですが)なので、果たしてどれだけの方に読んでいただけるやら‥‥。

さて、例によってあらすじから‥‥。

時は明治30年頃の夜、雪道を人力車で急ぐ柴山源蔵(小松方正)と取り巻きの前に、白い着物を纏い紫紺の蛇の目傘を持った若い女性が現れる。 クリックして続きを読む

「白い巨塔 対決! 財前vsマスゾエ」その後編!

~前編~はこちらから!

またまた、長いあらすじとなってしまいましたが、山崎豊子モノはストーリーが長いのに加えて勧善懲悪に則っていろんな人物が出てくるのでどうしても長くなってしまいます。

例えば、産婦人科医である財前又一は、人前でお茶でうがいをしてから飲む様な下品で、金と女と娘婿の教授昇進にしか興味のない最低の人物として描かれています。また、整形外科の野坂教授はどっちつかずの態度で財前、菊川両派から金や地位の恩恵を受けるという人物です。
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「白い巨塔 対決! 財前vsマスゾエ」その前編!

今回も、またまた懐かしの大作シリーズとして山崎豊子原作、山本薩夫監督による「白い巨塔」を取り上げます。

この作品は、山崎豊子が船場を舞台にした商人ものから、本格的な社会派小説へと舵を切った最初の作品(舞台は大阪ですが)であり、主演の田宮二郎にとっても、その名声を決定的なものにした記念碑的な作品です。映画が公開されたのが1966年ですから、もう50年以上も前になりますね
その後、「白い巨塔」は1977年に同じく田宮主演で、その後唐沢寿明や岡田准一の主演で都合5回にわたってテレビドラマ化されていますが、私はいずれも見たことはありません。
尚、この小説は
1973年の京都大学の国語の入試問題に使用されていました。 確か、浪速大学を退任する里見が大学の塔を振り返るくだりが引用されていて「白い巨塔の意味するところを〇〇字で記載せよ」と言う設問だったと思います。こんな40何年も前のことを覚えている人は多分もういないと思いますが・・・・・。

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映画「八甲田山」と組織の統制について

約4年ぶりになりますが、このコラムを再開したいと思います。
再開の第一弾は、あまりにも有名な「八甲田山(1977年:東宝)」に挑戦します。 

先ずは、あらすじから・・・・。 

  1901年、弘前第八師団第四旅団長である友田少将(嶋田正吾)は、来る露西亜との戦争に備えて、寒地での訓練を充実させるため、厳冬期の八甲田山を行軍することを決定し、管下にある青森5連隊、弘前31連隊に実行を指示する。
青森連隊の連隊長は津村中佐(小林桂樹)、弘前の連隊長は児玉大佐(丹波哲郎)で、夫々管下の神田大尉・中隊長(北大路欣也)、徳島大尉・中隊長(高倉健)に実施担当者として(両中隊が八甲田ですれ違うことを条件に)計画の起案を指示する。
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