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「動乱」からダイハツ不正問題を読み解く!

今回は高倉健・吉永小百合の初共演となる1980年作品の「動乱」(1980年)を取りあげます。この映画は「海峡を渡る愛」と「雪降り止まず」の2部からなる長編で二・二六事件に関わる壮大なテーマを取り上げています。先ずは「海峡を渡る愛」のあらすじから。

宮城啓介は陸軍の中隊長であるが自身の隊の溝口英雄(永島敏行)が隊を脱走する。溝口は姉の薫(吉永小百合)が女郎に売られるのを知ったことが脱走の動機であった。溝口は実家で張り込んでいた宮城の軍隊に捕まり軍曹の原田(小林稔侍)から自決を迫られるが逆に原田を射殺する。溝口は軍法会議で銃殺刑に処される。
その後、溝口の実家を訪ねた宮城は薫が女衒に連れて行かれるところに出くわし、薫に金の入った封筒を手渡す。隊から脱走兵を出した責任により宮城は満鮮国境に飛ばされる。その隊での懇親会で女郎になっている薫と再開する。薫は職業柄、艶めかしく宮城を誘うが、宮城は誘いに乗るようなことはしない。
隊に出入りしている朴(左とん平)は、女を世話する便利屋であるが、軍の武器弾薬や医薬品を横流ししているところを宮城に取り抑えられる。この横流しのため、最前線では武器弾薬・医薬品が不足しており、まともな戦闘や負傷兵の治療もできない状況であった。
宮城は朴の告発を要求するが、朴と通じている上司の小林少佐(岸田森)の反対にあう。一方、薫は自殺を図るが家族の借金の返済義務を負っている女郎に取って自殺は御法度であり、雪の荒野に投げ出される。小林から薫の救出と引き換えに朴の告訴取り下げを提案された宮城は、やむを得ず同意するが、軍の腐敗した体質に怒りをにじませる。

次に「雪降り止まず」です。
東京に戻った宮城と薫は居を構えて同居するが、隣には宮城を危険人物として見張る憲兵の島(米倉斉加年)が住み込んでいる。
宮城は薫を誘って鳥取に旅行する。敬愛する狂信的な軍の改革主義者で皇道派の一員である神崎中佐(田宮高廣)に会うためであった。神崎は、対立する統制派で軍務局長である水沼少将を軍の腐敗の根源と捉えておりその暗殺を計画していた。宮城は神崎に続き皇道派の決起を誓うのであった。薫は自身の身体に触れようとしない宮城に別れを切り出すが、「そばにいて欲しい」との宮城の言葉に同居を継続する。
神崎中佐は水沼少将惨殺を実行し、宮城は共犯の容疑で憲兵隊に連行され尋問を受ける。憲兵隊トップの広津少将(佐藤慶)は、宮城の殺害をほのめかし、憲兵の島は宮城に毒入りの茶を呑ませる。釈放された宮城は自宅で昏睡状態になるが、島が内密に差し入れた薬により、回復する。そして皇道派の青年将校の議論の中で、宮城は決起を決断し、その晩はじめて薫を抱く。
2月26日早朝、宮城以下青年将校は各連隊の兵を動員して岡田啓介首相以下重鎮の殺傷を実行する。一時は決起の主旨が天皇陛下に伝わったと喜んだ青年将校であったが、実際には天皇は自身の部下を殺害した青年将校に激怒し、自ら部隊を率いて鎮圧を主張する。これにより決起した各連隊は原隊復帰せざるを得ず、青年将校たちは逮捕される。裁判の結果、宮城は死刑の判決を受け処刑される。

と、壮大なストーリーとなっています。ここまで読んでいただいた方には大変申し訳ないのですが、実は内容的には薄っぺらい映画で画面に「健さん・小百合さんが出ているだけで満足」という方以外にはお勧め出来ません。何より、事件の直前の皇道派、統制派の対立には複雑な事情があったにも関わらず、統制派の水沼軍務局長(実際の人物は永田鉄山軍務局長)が皇道派トップの真崎教育総監を罷免したこともあって軍の腐敗の象徴とし,ており、神崎(実際は相沢三郎中佐)が水沼を殺害することで問題が解決されるとする根拠が不明です。更に歴史上は直情型と認識されている相沢を冷静な宮城が敬愛するに至った経緯も判りません。憲兵の島は、宮城に毒を盛りながら薬を提供する等、宮城のシンパを演じており、映画全般を通して皇道派青年将校の思想・行動に賛同する内容となっています。
歴史的には諸説あるものの「力により体制を変えようとする」青年将校の決起は許されるものではなく、また、青年将校達はエリートで当時フランス料理店である龍土軒(今も西麻布で営業しています)で会合を重ねていた(高価なフランス料理を食べながらという訳ではなかったらしいが)訳ですから、決起の目的が貧しい農民の救済と言ってもにわかに信じがたく、軍内部派閥の勢力争いに軍を動かしたと位置づけるのが妥当ではないかと思われます。
更に、葉子(桜田淳子)は決起直前に将校の一人である野上(にしきのあきら)と結婚を約束しており、事件後に一人残された彼女の運命は悲惨なものであったと推察されます(青年将校の配偶者の状況は「妻たちの二・二六事件」澤地久枝に詳しく書かれています)。この様に愛する女性の運命を悲惨なものにすることについて配慮しない人間性に欠ける思想・行為を支持するかのような映画の内容(しかも女性の人格尊重が当たり前になってきた1980年に公開)というのはかなり違和感を覚えます。健さんが小百合さんをはじめて抱いたのも決起を決めた夜でした。
とは言え健さんが出演する以上、健さんを悪者にするわけには行かず、この映画関係者が皇道派=善、統制派・現体制=悪としたいのであれば、永田鉄山少将は金子信夫、岡田啓介首相は安部徹など、ちゃんとした悪役を配置して欲しかったです。となると、二・二六事件は健さんによる岡田一家への殴り込みとなり東映やくざ映画と同じになってしまいますが、さすがに歴史認識としては如何なものかと思います。そもそも銃を持っている相手にドス一つで殴り込むところにカッコよさがあるのに、素手の相手を剣で切ったり、就寝中の相手に銃をぶっ放すのは健さんの美学に反しており、やはり違和感を覚えます。

さて、 二・二六 事件に触れるときりがないので、この映画のポイントに移ります。
ポイントは朴が武器弾薬・医薬品の軍事物資を横流しする場面です。この場面についても映画では実際にどの様にして横流ししたのか詳細に説明されておらず不満の残るところです。軍事物資が「天皇陛下からお預かりしたもの」ですから弾丸の一個でも不足したら大変なことになる筈です。それがどうしてやすやすと横流しできたのでしょうか?
山本七平によれば軍の「員数主義」が原因とのことです。軍事物資の在庫については、帳簿上の残高と実際の有り高の一致を確認していたと思われますが、横流しによって有り高が少なくなっているのに、問題にならないためには帳簿上の残高を改ざんする以外ありません。上司としても自身の責任を問われかねないので、問題が公になるのを惧れ、改ざんを黙認していたのではないかと思われます。
この様に数字を合わせるためには、帳簿の改ざんをやむなしとするのが「員数主義」と言えます。この考え方が数十年に亘り日本の企業に受け継がれてきた向きがあります。今回発覚したダイハツの不正についても上層部からのプレッシャーによって、ルール通りやっていては高いノルマを達成出来ないが未達成が許されないため、ルールの逸脱、記録の改ざんによって達成を報告する他なかったのではないかと思われます。
今回の事件は第三者委員会によって「現場だけではなくプレッシャーをかけた上層部にも責任あり」との報告が出されている様なので、役員は「知らなかった」で現場に責任を押し付けて逃げる訳には行かないと思います。特に大株主であるトヨタ自動車の監査体制やダイハツ株の買収の際のDue Diligenceの内容はどうだったのか気になるところです。ダイハツの操業停止によってダイハツ車の所有者や従業員だけでなく、部品の納入業者が納品できなくなって資金繰りに支障をきたす可能性があり、納入業者や下請け加工業者に及ぼす影響についても配慮して欲しいものです。

さてこのコラムはGSネタで締めくくることとしていますが、今回は若くして非国民の未亡人となってしまう桜田淳子を取り上げたいと思います。昭和33年生まれの桜田はGS世代とは言えませんが、昭和47年8月のスター誕生のオーディションで牧葉ユミの「見知らぬ世界」を歌っています。「見知らぬ世界」の作詞・作曲者である植田嘉靖(作詞家としてのペンネームは「こうじはるか」)は1967年にGSとしてデビューする前のスイングウエストのリードギタリストで、スイングウエストの代表曲である「雨のバラード」、「涙のひとしづく」は植田のペンによるものです。当時14歳の桜田が殆どヒットしなかった、少し大人びたこの曲を選んだ理由は不明ですが、驚くべきは昭和47年12月のスター誕生のオーデションで山口百恵が同じ牧葉ユミの「回転木馬」(作詞片桐和子、作曲ベンチャーズ)を歌っていることです。牧葉ユミは「冒険」の小ヒットはありましたが、それほど知られた存在ではなく、百恵はオーデションの段階で既に淳子をライバルとして意識していたのか、はたまた、偶然に同じ歌手の曲を選んだのか、歌謡界の大きな不思議と言えましょう。
尚、相方のにしきのあきらは昭和45年デビューで既にGS時代は終焉していますが、デビューLPにてスパイダースの「夕陽が泣いている」(作詞・作曲;浜口庫之助)をカバーしています。これはにしきのが浜口庫之助のお弟子さんであるためと思われますが、残念ながらアレンジにGS色は全くありません。

仁義なき戦い(完結編)に見る日本経済再生への道

お待たせしましたっ! ついに「仁義なき戦い」の登場です。但し、ちょっとおまけの様な「完結編」です。全5作の中で私が好きなのは「広島死闘編」と「頂上作戦」なのですが、これを書いてしまうと28ページを遥かに超過する大作になりそうで「娘の夫の長い文書」の様に「あれを読んでどれくらいの人が理解できるか」とやんごとない方から不評をかってしまいそうなので、今回は「完結編」を手短に纏めたいと思います。

さて、例によってあらすじから・・・
第4作「頂上作戦」での山守組と打本会・広能組連合との抗争は、双方の幹部の一斉検挙により表向きは終息した。打本会は解散し広能組組長の広能昌三(菅原文太)は網走刑務所に収監される。

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同時に逮捕された山森組幹部武田明(小林旭)は広能よりも先に出所し、暴力団に対する市民社会からの批判をかわすために政治結社「天政会」を結成し、広島の暴力団の取り纏めを図った。とは言え、従来の暴力団組織では最早やっていけないとする知性派の武田と、旧来からの武闘派である副会長の大友勝利(宍戸錠)や早川秀男(織本純吉)とはそりが合わず、会は決して一枚岩ではなかった。同じく武闘派の江田省三(山城新伍)は、武田には頭が上がらないと思ったのか、武田側に留まった。この様な状況の中、天政会に反旗を翻す広能の兄弟分の市岡輝吉(松方弘樹)が、天政会幹部の杉田佐吉(鈴木康弘)を殺害する。この事件への対応について、武田と大友は真っ向から対立する。

そんな中、武田が県警に逮捕されたため、松村保(北大路欣也)が会長となるが、これを良しとしない大友は松村の殺害を企てるが失敗に終わる。これを機に松村と大友の中は決定的になり、大友はなんと仇敵であったはずの市岡と義兄弟の盃を交わす。これに怒った松村は市岡を殺害、大友は県警に逮捕されてしまう。また、早川は引退に追いこまれる。更に、広能が服役で留守の間に広能組の組員が槇原組長の槇原政吉(田中邦衛)を射殺する。と言うことで、一旦平穏に戻ったかに見えた広島はまたもや抗争の場になってしまう。

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そうこうする内に武田が出所し、松村は会長の座を武田に譲るが、出所してくる広能への対応を巡って、武田と松村の意見が対立。武田は広能とは以前より抗争の相手であったが、個人的には広能を評価しており何とか穏便にしたいと考えており、広能の出所に際して出迎えに行く。武田は広能に引退を迫るが、広能はこれを拒絶する。松村以下多数は広能に対して強硬な措置を主張しており、結果として武田は天政会の中で孤立し引退を余儀なくされて、松村が再び会長となる。松村は、反松村派が広能を担いで勢力を拡大することを懸念し、広能組の組員を天政会で面倒を見ることを条件に広能に引退を迫った。

松村は会長就任のあいさつ回りのために大阪に出向いた際に、早川組組員から襲撃される。側近の江田は死亡し、松村は瀕死の重傷を負う。松村はそんな状態にもかかわらず会長襲名披露を無事に成し遂げる。広能は表舞台から去ることを決め、組員を天政会に預けることに同意し引退する。
そこに広能組の天政会参加を知った槇原組組員が広能組の若手を襲撃して死亡させ、新たな抗争が始まる。広能は自身が若かった頃の暴走行為を今は若い者がやっており、それを抑制できなくなったことに時代を感じるのであった。

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とまぁ、相変わらず抗争と暴力全開の映画です。仁義なき戦い全編に言えることですが、出演しているキャストの顔ぶれの豪華なこと!第4作の頂上作戦以前までは、このメンバーに加えて、梅宮辰夫(明石組 岩井信一他)、成田樹夫(松永弘)、千葉真一(若い時の大友勝利)、小池朝雄(義西会 岡島友次等)等、一流スターたちが目白押しです。
一方、高倉健、鶴田浩二、池辺良、安部徹など仁義・任侠系のベテランスター達は出演しておらず、仁義なき戦いシリーズによって東映のやくざ路線が大きく変貌を遂げたといえるでしょう。
尚、ついでですが、天政会の本部は京都の五条大橋の西側のバイク専門店「ドリームロード」、天政会が行進するのは堀川通です。また、太秦の河端病院は何度も登場していますが、残念ながら3年ほど前に移転し、現在は駐車場になっています。
その中で、この完結編は広能、武田、大友などそれまでの主人公たちが現役を引退、江田、槇原が殺害され、松村の様な若手にとって代わられる展開となっており、過去の4作に比べると時代の変遷と言うかどこか物寂しさが漂っています。
とは言え、見どころは満載です。市岡の狂気に満ちた目付き※、梅毒に侵されて正常な判断が出来なくなった大友のハチャメチャな行動(尤も、広島死闘編での千葉真一が演ずる大友※※も相当常軌を逸していましたが)、武田から一緒に飲もうと誘われて「そっちとは飲まん。死んだもんにすまんけぇのぉ」と言う広能のカッコよさ等、書き出せばきりがないのですが、それにしても重症の中会長襲名披露を勤め上げる松村にはド迫力があり、若干疲れの見えた武田や広能との世代交代を強く印象付けています。

そんな中で、ここでは大友勝利の名言(珍言)にスポットを当てたいと思います。大友が泥酔して市岡に対して発する「牛のクソにも段々があるんで」というものです。目まぐるしく展開するストーリーについて行けない観客もこのセリフには圧倒されて忘れることが出来ずに映画館を後にしたのではないかと思います。
この意味するところですが「物事には配列や順序がある」と言う、大友にしては意外にまともな発言でした。ビジネスの現場においては、重要な交渉の席に部長を同伴して出向いたところ、相手企業の出席者が係長レベルだった時や、相手側が打合せの冒頭からいきなり無理な要求を切り出した時などに使って頂きたい言葉です。※※※
尚、筆者が小学生だった昭和40年頃は、まだ牛を飼っている農家があり、通学路に牛の糞が落ちており、確かに段々がありました。誤って牛の糞を踏んづけると笑い者にされると言われて気を付けて歩いたものです。

さて、ここで牛のクソに言及するのは大きな理由があります。それは、バブル崩壊後の日本経済の低迷の大きな要因となっているからです。今更ですが、日本経済の低迷はイノベーションの欠落と生産性の低さに起因します。ちなみに日本の生産性はG7の中の最下位で、米国の60%程度だそうです。

米国の経済学者であるDavid Graeberは無意味で不必要で有害であるにも関わらず給与が支払われている業務を”Bullshit Jobs”(牛のクソ業務)としています。彼によると、Bullshit業務は以下に分類されます;

① 誰かに偉そうな気分を味合わせるためだけの取り巻き
例:受付係
② 雇用主のために他人を脅迫したり欺いたりする脅し屋
 例:ロビイスト、顧問弁護士
③ 誰かの欠陥を取り繕う尻ぬぐい
 例:バグだらけのコードを修正するプログラマー
④ 誰も読まない書類を延々と作成する書類穴埋め人
 例:コンサルタント
⑤ 人に仕事を割り振るだけの中間管理職

如何でしょうか? 日本企業の典型的な問題点を指摘されているような気がしてなりません。

③はあまりピンと来ないですが、②は何となく判る様な気がします。①、④、⑤は、ホントにそのものずばりですね。
①については、確かにアポイント先でステキなお嬢さんに「いらっしゃいませ。お待ちしておりました」と言われると気分が悪い筈はないですが・・。
もっと大きな問題は会議だと思います。偉い人は自身が招集する会議に多数を出席させ、自身の考えを延々と披露するのを好みます。これで自身の力を誇示しているんでしょうね。勿論、急用(や休養)で欠席すると怒りまくるので、無駄と思いつつも出席せざるを得ません。でも、自分の考えなんかは前の晩にメールで配信すれば事足りるので、会議では本当に話し合うべきことだけを要領よく議論し、決めればそれで済みます。こうやって、本来付加価値を生み出すべき社員の時間が無駄にされてしまいます。 
④については稟議に諮る資料です。役員クラスは目が悪くなって、また、終日多数の決裁事項に疲れているので、「・・・で、どういうことなんだ?」だけで判断して、多数の部下が徹夜状態で作成した細かい資料まで見てないのではないかと思われます。
尚、この④については我々コンサルタントも反省すべき点は大いにあります。コンサルタントは月額で報酬を貰うわけですから、見合うだけの仕事がなければ契約解除か報酬減額になります。そこで、そうならない様に、本来1ページで事足りる内容なのに資料を10ページにも膨らませて、仕事をやっている感を出す傾向にあります。企業の皆さん、コンサルタントには十分気を付けてくださいね。あっ、私は決してそんなことはしませんから安心してご依頼ください。
⑤については、日本ではおなじみの中間管理職の皆さんです。部長代理さん、次長さんは自分の仕事が何かの役に立っているか、真剣に考えてみたほうが良いのでは???
これについては、「八甲田山と組織の統制について」(2020年7月)で詳しく述べていますので、ぜひご一読を。

映画「八甲田山」と組織統制

と、またまた長くなってしまいましたが、日本経済は牛のクソ仕事に時間や賃金を費やしているような余裕はもはやありません。特に問題は、この様な仕事の従事者の多くがホワイトカラーで比較的高い賃金を享受していることです。これを実際の生産活動に従事し付加価値の創造に貢献している従業員に配分することで、公正な分配と格差の是正になるのではと愚考する次第です。

と言うところで、最後はクソを題材にした歌謡曲を探してみました。有名な曲しか思い浮かばなかったのですが、先ずは吉永小百合さんの「奈良の春日野」の「ふんふんふん、黒豆や♪」です。これは、昭和40年に発売された「天満橋から」のB面で、昭和62年に明石家さんまがオレたちひょうきん族で紹介したことより大きな話題となりました。「天満橋から」は同年の紅白で可憐な振り袖姿で歌っていましたが、こちらも歌詞は何を言いたいのか判らず意味不明です。作詞した佐伯孝夫さんは「いつでも夢を」や「有楽町で逢いましょう」などの大作詞家ですが、ときおりおちゃめな曲を手掛けられていたようです※※※※。

もう一つは、これも有名なダウンタウンブギウギバンドの「スモーキン・ブギ」(昭和50年)ですが、当時の大アイドルであった山口百恵さんがテレビで「クソして一服」と歌っていたのが印象的でした。

※ 松方弘樹は、仁義なき戦いシリーズに三回、それぞれ異なる役で出演しており、全てにおいて殺害されています。第1作の子供のためにと立ち寄る玩具屋で射殺される坂井鉄也が最も高い評価を受けているようですが、本作の市岡の狂気の目つきにも強く引き付けられます。

※※ 千葉真一演じる「広島死闘編」での大友勝利は兎に角ハチャメチャなのですが、彼の発言の中には映画を見たもの全員の脳裏から離れない言葉があります。・・が、それをここに書いてしまうと倫理上の問題からこのコラムが公開禁止になりそうなので、残念ながらご紹介できません。ご興味のある方は、ぜひ、ビデオで確認してみてください。

※※※ これと並ぶ印象深い言葉に、「頂上作戦」でげんこつラッパ先生(義西会会長岡島友次の小学校時代の恩師)が、昔の生徒たちに持ち上げられた際に照れて発する「顔に電気がつくわい」があります。これは、部下や取引先から「さすが、課長。お目が高いですね!」とか褒められた時に使用したいものです。

※※※※ 佐伯孝夫センセイがGSに提供した曲にはザ・ジャイアンツの「スケート野郎」ザ・ジャイアンツ – スケート野郎 – ニコニコ動画 (nicovideo.jp) があります。ザ・ジャイアンツは「ケメコの唄」を発表しましたが、ザ・ダーツの同じ曲が大ヒットしたのに対して全く話題にならなかった泡沫GSです。

                                  

                                   (2022年1月)

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ゴールデンウィークですが緊急事態宣言下、外出もままならず暇に任せて新作をお届けします。今回は、池井戸潤の小説を映画化した「七つの会議」(2019年公開)を取り上げます。先ずはあらすじから。

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「キングコング対ゴジラ」‥‥60年後の2021年を予見していた怪獣映画!

筆者の体調が回復してきたこともあり、立て続けになりますが新作を発表させて頂きます。

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「紙の月」‥‥なぜ人は不正に手を染めるのか?

今回は、「紙の月」を取り上げます。この映画は2014年制作とこのコラムとしては、ずいぶん新しいものになります。先ずはストーリーから。

とある銀行の支店に勤務する梨花(宮沢りえ)は、サラリーマンの夫である正文(田辺誠一)と2人で暮らす平凡な主婦。梨花の同僚には、若くて調子のよい相川(大島優子)、支店勤務25年のお局さんで何かにつけうるさい隅(小林聡美)、無能な支店次長の井上(近藤芳正)等がいる。正文は仕事が多忙で、梨花との家庭内の会話は途絶えがちであった。そんな中、梨花は銀行の顧客で気難しい老人の平林(石橋蓮司)宅を訪問した後、お茶を入れようとした台所で孫の光太(池松壮亮)と出会う。 クリックして続きを読む

「修羅雪姫」~無情の復讐劇から企業のリスク管理を読み解く!

今回は、梶芽衣子「修羅雪姫」を取り上げます。1973年に封切りされた映画で、初めて見たのは、当時、私が住んでいた京都の下宿の近くに京一会館と言う邦画専門の映画館だったと思います。
今まで、八甲田山とか白い巨塔とか所謂大作を取り上げてきたので、興味を持って頂いた方も多少はいたかも知れませんが、今回は多少マニアックな作品(私の中では、かなりの名作なんですが)なので、果たしてどれだけの方に読んでいただけるやら‥‥。

さて、例によってあらすじから‥‥。

時は明治30年頃の夜、雪道を人力車で急ぐ柴山源蔵(小松方正)と取り巻きの前に、白い着物を纏い紫紺の蛇の目傘を持った若い女性が現れる。 クリックして続きを読む

「白い巨塔 対決! 財前vsマスゾエ」その後編!

~前編~はこちらから!

またまた、長いあらすじとなってしまいましたが、山崎豊子モノはストーリーが長いのに加えて勧善懲悪に則っていろんな人物が出てくるのでどうしても長くなってしまいます。

例えば、産婦人科医である財前又一は、人前でお茶でうがいをしてから飲む様な下品で、金と女と娘婿の教授昇進にしか興味のない最低の人物として描かれています。また、整形外科の野坂教授はどっちつかずの態度で財前、菊川両派から金や地位の恩恵を受けるという人物です。
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「白い巨塔 対決! 財前vsマスゾエ」その前編!

今回も、またまた懐かしの大作シリーズとして山崎豊子原作、山本薩夫監督による「白い巨塔」を取り上げます。

この作品は、山崎豊子が船場を舞台にした商人ものから、本格的な社会派小説へと舵を切った最初の作品(舞台は大阪ですが)であり、主演の田宮二郎にとっても、その名声を決定的なものにした記念碑的な作品です。映画が公開されたのが1966年ですから、もう50年以上も前になりますね
その後、「白い巨塔」は1977年に同じく田宮主演で、その後唐沢寿明や岡田准一の主演で都合5回にわたってテレビドラマ化されていますが、私はいずれも見たことはありません。
尚、この小説は
1973年の京都大学の国語の入試問題に使用されていました。 確か、浪速大学を退任する里見が大学の塔を振り返るくだりが引用されていて「白い巨塔の意味するところを〇〇字で記載せよ」と言う設問だったと思います。こんな40何年も前のことを覚えている人は多分もういないと思いますが・・・・・。

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映画「八甲田山」と組織の統制について

約4年ぶりになりますが、このコラムを再開したいと思います。
再開の第一弾は、あまりにも有名な「八甲田山(1977年:東宝)」に挑戦します。 

先ずは、あらすじから・・・・。 

  1901年、弘前第八師団第四旅団長である友田少将(嶋田正吾)は、来る露西亜との戦争に備えて、寒地での訓練を充実させるため、厳冬期の八甲田山を行軍することを決定し、管下にある青森5連隊、弘前31連隊に実行を指示する。
青森連隊の連隊長は津村中佐(小林桂樹)、弘前の連隊長は児玉大佐(丹波哲郎)で、夫々管下の神田大尉・中隊長(北大路欣也)、徳島大尉・中隊長(高倉健)に実施担当者として(両中隊が八甲田ですれ違うことを条件に)計画の起案を指示する。
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「戦争と人間」から、企業の海外進出を考えてみる。

戦争と人間⑤今回は、旧日本映画の大作に戻って「戦争と人間」第一部「運命の序曲」を取り上げたいと思います。
この映画は五味川純平の小説に基づくもので、河本大作による張作霖の暗殺からノモンハン事件までを描いた日活映画3部作の第1作で監督は(3部とも)山本薩夫です。
監督もそうですが、俳優座、文芸坐、劇団民芸などであり社会派と言うか当時の世相を反映して左翼色の強い作品となっています。

★ストーリー

東京と満州を舞台に戦争を食い物にして利殖に走る伍代産業の動きを中心に、好むと好まざるとに拘わらず戦争に巻き込まれて行く人々の物語が展開されます。

先ずは、伍代家当主雄介(滝沢修)の長男である英介(バカ息子:高橋悦司)の米国出張の壮行会が雄介の屋敷で賑々しく行われている。そこには、伍代産業の役員である矢次憔夫(二谷英明)が、標公平と言う少年を連れて出席している。戦争と人間②公平は伍代産業の労働者である標拓郎(伊藤孝雄)の弟である。標拓郎は、矢次が管理する工場に勤務している際のストライキが原因で、左翼一斉検挙で拘留中である為、矢次が弟の公平の生活の面倒を見ているのであった。そこで、公平は伍代家の次男である俊介(若き日の故中村勘三郎)と意気投合する。俊介は絵画を趣味としていることより、公平は兄の活動家仲間である貧乏画家の灰山等(江原真二郎)を紹介。俊介は左翼思想に影響を受ける様になる。

中国では、張作霖が蒋介石に追われて北京から満州に軍隊を移動させており、あちこちで日本人との間で小さな衝突があったが、関東軍は自軍の管轄外なので、天皇の奉勅命令が出ない限り、出動が出来ない。満州伍代社長喬介(芦田伸介:かなりの悪だがとにかく格好いい)は、資材の買い占めによって利益を得るために、関東軍が出動し戦争が始まるようにあらゆる手を尽くす。

満州伍代の幹部社員高畑正典(高橋幸治)は、匪賊の妨害によって地方の物産の奉天への物流ルートが寸断されていることに目をつけ、自ら匪賊の統領(丹波哲郎)との交渉に臨む。丹波の部下によって瀕死の拷問を受けながら、丹波との粘り強い交渉が成立し、軍事目的に使用しないことを条件に匪賊にルートの安全を保障させることに成功。ビジネスが動き始めたころに、関東軍参謀石原莞爾(山内明)の要請により、喬介はこのルートを関東軍の偵察に使用することを約束する。これが匪賊にばれて、怒った丹波は、高畠の最愛の妻素子(松原智恵子)を誘拐して殺害。それでも高畠は、喬介に対して「戦争を食い物にする男の死にざまを見とどける」と言って、満州伍代に留まる。

雄介の長女由紀子(浅丘ルリ子)は、二谷を愛しているが、妻のいる二谷の煮え切らない態度に業を煮やす。次に、陸軍の若手将校である柘植中尉(高橋英樹)と恋仲に陥る。柘植も由紀子を愛しているが、仕事優先の一本気な性格であり、一方、由紀子はお嬢様育ちのわがまま放題故、二人の恋は中々進展しない。柘植は、霧社事件の調査で台湾に出張するが、その一本気な性格から反乱を起こした現地人の心情を汲んだ報告を作成してしまい、それが原因で金沢に飛ばされる。由紀子は金沢まで柘植を追いかけ二人は漸く一晩限りではあるが結ばれる。

奉天医大の講師服部(加藤剛)と、開業医不破(田村高広)医者仲間で、独身・単身同士で正月を迎えている。そこに、官憲に追われて負傷している朝鮮人民族主義者の徐在林(地井武夫)が、武器を持ってけがの治療と金を要求する。同時に警察に踏み込まれた徐は、警察官を射殺し逃亡する。射殺された警察官には雷太と言う男の子がいる。ナイフ使いの達人となり、中国人を徹底的に憎む少年に成長し、満州伍代に入社し喬介の部下となる。

標拓郎は釈放されて直ぐに徴兵される。徴兵前日に、拓郎は公平と二人で過ごす。そこで、拓郎に対して次の忠告を行う。「いいか、男であれ、女であれ、思想であれ自分が納得するまで信じるな。物わかりの遅いは決して恥ずかしいことではない。後悔しないためのただ一つの方法だ。人が何と言おうが自分納得できないうちは絶対にするな。」

戦争と人間③その直後、満州事変が勃発。正義感の強い奉天総領事館員篠崎(石原裕次郎)の奮闘にも関わらず関東軍は戦闘を強化し、瞬く間に各都市を占領するが、その中で拓郎は戦死する。

中国人財閥である趙大福の息子で服部講師の研究室にいる医者の延年と美人の娘瑞芳(栗原小巻)がいる。喬介の元で修行するため満州に渡った英介は、偶然見かけた瑞芳に一目惚れする。その後、ホテルのロビーで瑞芳を見かけた英介は、瑞芳を強姦する。初めて会った時点では、未だ日本人の支配が及んでおらず、趙大福の娘に手を出すことは、相当な危険を伴う行為であった。その時点では何もせずに紳士をふるまい、満州事変によって日本人支配が確立して、リスクの無い状態になってから強姦に及んだ英介の態度に瑞芳は怒り、お嬢様生活を捨てて反日運動に飛び込んでいく。

★分析

と、ここまで長いあらすじに最後までお付き合い頂いた方、本当にありがとうございます。40年以上も前の左翼思想満開の映画に興味を持つ方がどれだけいるのか・・・と思うのですが、その一方で、港区図書館では、このDVDがいつも貸出し中になっています。本文を書くのにもう一度見直そうと思ったのですが、なかなか借りることが出来ませんでした。今もこの映画が共感を持って見られているのでしょうか?

さて、この映画は勧善懲悪ものであり、良い人と悪い人にはっきりと識別されます。また、良い人の中には、左翼思想の人間(標兄弟、貧乏画家の灰山、俊介、瑞芳、白永祥:五代満洲のローカルスタッフで共産党活動家:山本学)と左翼思想とは直接関係ないが正義感の強い人間(矢次:二谷英明、柘植中尉:高橋英樹、高畠:高橋幸治、服部:加藤剛、篠崎:石原裕次郎)。また、中国人は全員良い人です。悪い人の中には、悪い中にも骨のある人間達(雄介:滝沢修、喬介:芦田伸介、鴫田駒次郎:満州伍代の喬介の部下(三国連太郎)、喬介とは男女の関係で何やら怪しげな女鴻珊子(岸田今日子)と単に権力を嵩にやりたい放題(英介:高橋悦史、陸軍の将校たち)と言ったところでしょうか?最大の悪人は、アヘン密売の利益のためには、部下の鴫田を使って殺人も辞さない喬介です。彼は物資の買い占めで儲けるために関東軍を焚き付けて戦火を拡大させようと企てますが、石原莞爾とため口を聞くなど大物ぶりを発揮しています。その中で、由紀子はどれにも分類出来ない特別な存在です。左翼系の人間は、全て善い人なのですが冒険主義者の徐在林、左翼作家の陣内志郎(南原宏治)は、ちょっと癖のある人間として描かれています。

これらの登場人物が夫々の人生を精一杯生きていく過程において好む者も好むざる者も戦争の渦の中に巻き込まれて様を描いているのがこの映画です。

★ビジネス

この映画のポイントは、標拓郎が出征する前夜に公平に与える忠告です。既に述べましたが、「自分が納得するまで信じるな。物わかりの遅いは決して恥ずかしいことではない。後悔しないためのただ一つの方法だ。人が何と言おうが自分納得できないうちは絶対にするな。」です。このセリフは、40年近く前に初めて見た時から、今も変わらない重い言葉です。ビジネスの世界においても「物わかりの遅いことは恥ずかしいことではない」は、「バスに乗り遅れるな」の対極にあります。どんな意思決定も、周りに振り回されることなく自身が納得するまで精査・検証して、納得してから結論を出しても決して遅くはないことを我々は強く認識しなければなりません。中小企業の生産拠点の海外移転については実際に成功しているのは過半数に満たないと言われています。中小企業庁を初めとして、金融機関や工場団地など官民一体となった手厚い支援により海外への進出は比較的簡単に出来る様になりました。しかしながら、それを持続的に成功に結び付ることは非常に難しいようです。実際の成功は自身の経営資源と市場環境をしっかり分析し、実行する企業のみが得ることができるもので、行先を確認することなく他人を追いかけてバスに乗ってしまった企業にとっては不可能だと思います。仮に、海外に出て行かない企業は“成長意欲やチャレンジ精神がない”と考えがまかり通る様であれば、有る意味で、戦争と人間の世界と同じになってしまう懸念があります。

企業が自身の軸足をしっかりと持って、ぶれない戦略を立て実行することを、しっかり主張して行きたいと思います。

★GSネタ

戦争と人間①さて、このコラムではGSネタで締めくくるのがお決まりになっています。

戦争と人間の第二部第三部では大人になった五代の二女頼子として小百合さんが登場するので、小百合さん=GSネタ※には困らないのですが、第一部の出演者の中では、浅丘ルリ子さんの昭和43年の作品「女がひとり」をご紹介したいと思います(デュークエイセスの京都大原三千院~♪ ではありませんので・・・)。

「女が一人夜霧にぬれて失くした恋を探して歩く…」と言うGSとしては大人の歌詞なのですが、曲はブラスをフィーチャーしてR&B色を前面に打ち出したGS後期のサウンドで、中々聴きごたえがあります。同様の作風としては、ザピーナッツの「ガラスの城」や黛ジュンの「不思議な太陽」があるのですが、この二組は元来GS色の強いアーチストであるのに対して、後に「愛の化石」が大ヒットしたこともあり、どちらかと言えばか細い大人の女性イメージの強い浅丘が、一歩も引かずに堂々と歌い上げているところは一聴に値します。

今までにも書きましたが「坂道のクラブ」(昭和43年:すぎやまこういち、橋本淳)は、ストーンズのShe’s a rainbow的な構成と小百合さんの可愛い歌声とGS的な演奏がマッチした素晴らしい作品です。吉永小百合全集以外にはCDに収録されていないのが非常に残念。
橋幸夫の昭和42年から43年にかけての一連の作品や永井秀和の「緑の館の少女」、「天使のエレーヌ」等日本ビクターはGS的な素晴らしい作品があるにもかかわらずCD化に消極的な姿勢が気になります。早くCD化して欲しいものです。

 

*画像は日活映画より引用

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