4月にJALの機内で『レ・ミゼラブル』を見ました。このコラムでは今まで邦画の名作ばかりでしたが、最新作の洋画を取り上げてみます。どんなことになるやら・・・。

レミゼラブルは言わずと知れたビクトルユゴーの小説の映画化であり、ミュージカル仕立て。過去にはジャンギャバン主演のものや、また、10数年前にも機内で英語の映画を見た記憶があります。

さて、あまりに有名なストーリーですが・・・。

一切れのパンを盗んだ罪で19年の懲役を強いられたジャンバルジャンは、担当官であったジャベール警部から仮釈放を言い渡された直後に、宿と食事の世話になった教会から銀の食器を盗み、警察に逮捕されるが、司教が「彼(ジャンバルジャン)に与えたものだ」と説明したことで釈放される。

その後、真面目に働いたジャンバルジャンは囚人であった過去を隠して某市の市長兼縫製工場の経営者となる。レミ②.jpg

この工場の工員であったフォンテーヌは不倫相手との娘の存在を隠して、勤務していたことが発覚して、工場長より首にされてしまう。収入の道を閉ざされた彼女は髪や歯を売ったあげく最後は娼婦になり、病気で亡くなる。

ジャンバルジャンは、フォンテーヌの娘コゼットを預かっている小悪党夫婦に金を払って彼女を引き取る。同市の警察に着任したジャベール警部は、市長が姿を隠したジャンバルジャンではないかと疑いパリの本庁に問い合わせるが、パリよりジャンバルジャンは服役中との連絡を受ける。自分に代わって服役者にされている人間がいることを知ったジャンバルジャンは、自身が本物のジャンバルジャンであることをジュベールに告レミ③.jpg白し、逃亡生活に入る。

数年後、パリで王政に反対する学生グループにブルジョアの息子マリウスや彼を慕うエボニーヌ(ジャンバルジャンにコゼットを売った小悪党の娘)等が参加している。美しい娘に成長したコゼットに一目ぼれしたマリウスはエボニーヌにコゼットとの仲を取り持ってくれる様に依頼し、コゼットと恋仲になる。

ジャベールは、学生グループの動向を探ろうと潜入したが、身上がばれて身柄を拘束される。コゼットの恋人マリウスの身を案じて学生グループに義勇兵として参加したジャンバルジャンは、拘束されているジャベールを解放。ジャベールは、ジャンバルジャンに負けた!と思ったのか、自らが信じていたものの無力さにショックを受けてなのか、運河に身を投げる。

学生グループは政府軍に鎮圧されエボニーヌは撃たれて死亡。マリウスも重傷を負うが、ジャンバルジャンに救出される。

マリウスとコゼットの結婚式の後、旅に出たジャンバルジャンは、教会でマリウスとコゼットに看取られながら天使になったフォンテーヌのもとに召される。

さて、ポイントなのですが、“法令順守を生きる証として一切コンプライアンス違反をしていないジャベールは自殺に追い込まれ、その場その場でコンプライアンス違反を犯すジャンバルジャン(仮釈放の身でありながら、素性を偽って市長になったり、素性を告白した後逃亡、また、ジャベールを釈放する権限も学生グループからは与えられていなかった)が、幸せな死を迎えるのか”と言う点にあります。

企業は社会に受け入れられる良き市民である為に、コンプライアンス遵守を含む内部統制を確立し、その整備・運用状況を検証する為に内部監査体制を強化してきました。

私は、公認内部監査人(CIA)と言う資格を持っている(一応)プロの監査人の端くれなのですが、ジャベールを監査した場合の評価は「問題なし」、ジャンバルジャンを監査した場合は、法令遵守の観点から多くの改善勧告を行ってしまうことになるのだと思います。おそらく、他の監査人の多くも同じ判断になるのではないでしょうか。

企業にとって重要なことが「良き社会の構成員であること」であるならば、内部監査的には、ジャベールは「良き市民」、ジャンバルジャンは「そうでない市民」です。

一方、この映画を見たり、原作を読んだ人の大多数にとってはジャンバルジャンの方が良き市民と感じ、ジャベールの自殺に溜飲を下げたに違いありません。となると、企業が良き社会の構成員になろうとして行っていること自体が、一般市民の常識から乖離していることになってしまいます。

ジャベール警部と同じく、どうでも言いとしか思われない様な些末な不備事項を、あたかも大問題であるかの様に報告し業務改善を迫る一方で、本質に関わる重要事項については言及を避ける様な監査であるならば、監査は企業が良き社会の構成員となるために貢献しているのかどうか、いささか疑問を感じざるを得ません。

更に、ドラッガー的に“知識労働者”の観点から捉えると、自身の行為がもたらす結果が“最適であること“を目指して判断し行動するジャンバルジャンは知識労働者、法律と言うマニュアルに基づく行動しかできないジャベールは普通の労働者となります。となると、監査人は一般労働者の行為を評価することは出来ても、知識労働者の行為を評価する域には達していないことになってしまいます。

企業の大きな目的の為には小さな法令違反が許されるとの立場に立つ訳では決してありませんが、ビジネスの現場ではこの種の選択を迫られる場合が多く、監査人側にもこの現場判断の是否を正しく評価する実力を備えることが必要になって来ます。

コンプライアンス(法令遵守)とビジネス・エシックス(企業倫理)は、厳密に区別せずに論じられる事例が見受けられますが、双方が矛盾する場合に企業はどちらを優先するべきなのか? また、この問題に直面した場合の監査人の判断は??? と原作者であるユゴーが19世紀に投げかけた問題については、現代においても考えるべき点が多いと思います。

さてレミ④.jpg、この映画への突っ込みを一つだけ・・・。それは、マリウスがコゼットと知り合うために彼を慕うエボニーヌを利用するところです。エボニーヌは、魔法使いサリーで言えばよし子ちゃん的な下町娘と言うこともあってか、すみれちゃん的お嬢さま系のコゼットに夢中のマリウスは彼女の気持ちを斟酌するつもりがありません。

エボニーヌは、マリウスへの気持ちを告げることもできず、コゼットとの仲を取り持った後で、政府軍に撃たれてしまうと言う可哀想な役回りです。ここは、コゼットに熱中するあまり自分の都合でしか行動しないマリウスに喝を入れておきたいと思います。

(13年5月/画像はユニバーサル映画より引用)