Month: 2月 2012

◆file.5◆ 少年犯罪死刑囚の顔写真 2012-02-28

「フライデー」誌が死刑が確定した元少年の写真と実名を掲載しました。

かつて「フォーカス」誌が、2人の子どもを惨殺したうえ世間をあざける犯行声明を出した14歳の少年の顔写真を掲載したように、社会正義を錦の御旗に、またぞろ俗人の好奇心を刺激する記事を載っけたのだろうと思いました。しかし、その予想は外れていました。

この事件は、1994年、3人の不良少年が各地でリンチを繰り返し、4人の命を次々とを奪ったという悲惨この上ないものでした。報いやあだ討ちの感情の強い普通の日本人なら、このような鬼畜がこの世に存在すること自体が不正義で国家の損失だから、直ちに死刑にすべきだと考えて当然の事件です。
でも、「フライデー」のこの記事に目を通せば、この外面上のストーリーが事実の一断面にしか過ぎないことに気付かされ、事態はまったく異なった様相を見せてきます。
少年時代、無知未熟のゆえに取り返しのつかない罪を犯してしまった男がその罪をあがなうには、国家がその命を奪うしか方法はないのか。人間の叡智は、文化は、死刑以外に、遺族の果てしない恨み喪失感を埋める方法を探し当てることはできないのか。数千年を経ても、人類は、ハンムラビ法典から一歩も踏み出せないのか……。この記事を読んで、そんなことに思いを巡らせない人はいないでしょう。

でも、ひょっとすると、この力のこもったルポルタージュは、対象にのめり込み過ぎてしまった一ジャーナリストの主観・思い込みに過ぎないかも知れません。また、隠しカメラで撮影した死刑囚の大きなまん丸の純朴そうな目は、気が良さそうだとも、無知で愚鈍そうだとも、何も考えてないようだとも、どうとでも解釈することが出来ます。
しかし、この写真とルポルタージュが相まった時にこそ、見る者は根源的な何かを突きつけられるのです。
それはまるで、写真とルポルタージュという2つの表現が相乗的な化学反応を起こしたようなものかも知れません。表現者が、「事実」と「真実」の間に横たわる深い裂け目を乗り越えようと、力の限りを尽くした結果に違いないと思うのです。

これに対し、35歳になった死刑囚の罪は少年時代に犯したものだから写真や実名を掲載するのはいかがなものか、と大メディアを中心に少年法を盾にこの記事に疑問を呈する向きもありますが、いささか当を欠いているのではないでしょうか。ましてや、「少年法の趣旨に反し人権上重大な問題がある」との声明を発表した東京弁護士会の形式的な行動は、完全に的外れというしかありません。
最高裁が「更生の見込みはないから死ね」と最終判断を下したこの青年に、果たして、今更人権などという概念が通用するものかどうか。犯人を殺すのはいいけど写真や実名を出すのは問題だなんて、たちの悪いブラックジョークとしか思えません。

皆さん。もしコンビニでこの雑誌を見つけたら、5分間だけでいいから、ちょっと立ち読みしてみて下さい。そして、人の命について、国家の合法的な殺人について、また死刑でなければ気が済まない、でもそれで癒されることなど決してない遺族の無念について、ちょっと思いを巡らしてみてはいかがでしょうか。

◆file.4c◆ 歌は人類共通の財産……なんだろうな。 2012-02-08

晴れ 替え歌づくりも大変なんですね。思えば、昔はのんびりしてたんだなあ。

そういえば、軍歌と共産主義の応援歌っていえば、「歩兵の本領」と「メーデーの唄」のことを思い出しました。

http://www.youtube.com/watch?v=FJreugfgJUw
http://www.youtube.com/watch?v=WcBZ2RWUbec

「メーデーの唄」は、6・70年代の左翼運動華やかなりし頃のシンボルソングでした。
50代以上の方であれば、「聞け万国の労働者、轟きわたるメーデーの……」という勇壮な歌声を聞けば、きっと感慨深いものがあるでしょう。

るんるん でも、実はこの2つの曲にもさらに元歌があるんですよ。
「アムール川の流血や」というものすごいタイトルの歌なんですが、元をただせば19世紀末頃の旧制第一高等学校(東大予科)の寮歌なんです。

http://duarbo.air-nifty.com/songs/2007/08/post_8ac1.html

歌詞をよくよく読んでみると、帝国主義礼賛も甚だしくて、ちょっとついていけません。
一高寮歌といえば、「ああ玉杯に花受けて」がまっ先に思い浮かびますが、格調は高くとも一般庶民を見下すような歌詞には、やはり権力志向と言うかエリート臭が付きまといます。

紅もゆる1.jpg

一方、三高(京大予科)寮歌となると、有名な「紅もゆる丘
の花」といい、加藤登紀子の歌でヒットした「琵琶湖周航の
歌」といい、叙情味あふれる自由な気風が漂っているように
感じるのは私だけでしょうか。 a

 

 

カメラ=昨年、三高ゆかりの吉田山で撮影

◆file.4b◆ 替え歌は盗作かオリジナルか? 2012-02-07

ひらめき 軍歌と社会主義と運動会応援歌とのトライアングルというのは、なかなか興味深いとらえ方ですね。

日本人の普通の感覚からすれば、社会主義や左翼思想というものは、戦前の軍国主義の対極にあったはずでした。しかし、かの国の「先軍政治」を持ち出すまでもなく、ソビエト赤軍や中国の八路軍を思い浮かべれば、社会主義・共産主義が常に国家主義・軍国主義をともなうのは歴史的必然でもあるのでしょう。
当然です。共産主義革命は独占資本主義=帝国主義体制を転覆するための暴力革命なのですから、新たな体制にはその暴力装置が不可欠になるわけです。ところが、日本の左翼思想は、戦前、共産主義に国家的弾圧を繰り返した帝国主義と、その重要な構成要素であった軍国主義を激しく憎悪しました。そこから日本独自の【左翼=反軍国主義】という概念が生まれたという考え方もあります。
ですから、軍歌と社会主義とのミスマッチ感覚は単なる錯覚に過ぎなくて、実は、両者は根っこのところで実に親和性が高かったのかも知れません。

おっと、ちょっと脱線してしまったようです。
ひらめき 御質問にお答えしましょう。
残念ながら 「日本海軍」の作者は「朝鮮革命軍歌」の作者に、著作権の侵害に対して何らかの手を打つことは不可能です。

北朝鮮の映画を無断でテレビで使用され著作権を侵害されたとして日本テレビとフジテレビが訴えられた事件がありました。去年の12月、最高裁は、一審二審に続き、「国家として承認していない北朝鮮の著作物の保護義務はない」として原告の請求をすべて退けたのです。
実は、北朝鮮は著作権を保護する条約に加盟しており、原告は「加盟国同士だから、日本でも北朝鮮著作物の保護義務がある」と主張していました。条約加盟国間では、「内国民待遇」と言って、相手国の国民と同じ権利が与えられることになります。したがって、北朝鮮の著作物も、日本の著作権法で保護されるという主張も一理あります。

しかし、ご存じのように、日本は北朝鮮を国家として認めていません。未承認国が条約の一員になったからと言って国家として承認したことにはならず、したがって未承認国の国民の権利を認めることは出来ない、というのが裁判所の判断の根拠でした。

となれば、逆に北朝鮮が「日本海軍」を元歌にして「朝鮮革命軍歌」を作ったとしても、日本の著作権者は文句を言えないということになります。北朝鮮側も、日本を国家として認めていないからです。
以上、この最高裁の判断からすれば、ご質問のように、日本の誰かが北朝鮮の曲に勝手に歌詞をつけてCDを出しても違法とはならないでしょう。

ただし、これは、あくまで日本の法律をベースにした考え方に過ぎません。あのお国でも、はたして日本と同じような考え方を取ってくれるのかどうか。
同じ条約の加盟国でも、国交のない国同士では条約の規定は通用しない、つまりそれぞれの国の法律に従う、ということは……。
もし北朝鮮の法律で、著作権を侵害した者は死刑(!)とでも規定されていたらどうなるのか?
あまり想像したくありませんね。いずれにしても、北朝鮮の曲に勝手に歌詞をつけてCDを出すのはやめておいた方が無難でしょう。

ひらめき もう一つのご質問、小学校の運動会の応援歌として児童たちにおおっぴらに歌わせることが可能かは、ちょっと微妙です。
基本的に教育の現場では許可なく著作物を使えるのですが、今回のように替え唄として内容を変えて使うことまでは認められていません。ただ、元歌とはまったく違う歌詞をオリジナルで作ったのならば、逆に作詞者の権利は及ばなくなります。歌詞とメロディとはそれぞれ独立した別の著作物とされているので、この場合、メロディだけをそのまま使用してオリジナルの詞を付けたと考えれば、自由に上演・演奏できる可能性は高いのではないでしょうか。

ちなみに、替え唄というのは、なかなか難しい問題をはらんでいます。
ちょっと難しく言えば、一つは財産権としての翻案権の侵害、もう一つは人格権としての同一性保おふくろ.jpg持権の侵害の可能性です。
森進一が名曲「おふくろさん」の歌詞をちょっと変えて歌ったことが、作詞した川内康範の逆鱗に触れたことは記憶に新しいでしょう。その後、川内さんは亡くなりましたが、その著作権は死後50年間残ります。つまり、もし歌詞を一部変更して歌いたいなら、50年間は、川内さんの相続人にその許可を得なければならないのです。
同様に、テレビでタレントが替え歌を歌うような場合には、元の詞をベースにするなら作詞家から変更のOKをもらっておかなければなりません。ちなみに、「替え唄メドレー」シリーズで有名な嘉門達夫の場合、作曲家・作詞家・歌手らすべてから許可を取っているとのことです。

(写真はビクターレコードジャケットより引用)

◆file.4a◆ 替え歌って、やっぱり盗作じゃないの? 2012-02-06

exclamation&question【軍歌フリークの方からの御質問】

もう何十年も前のことになりますが、小学校の運動会でみんなで歌った応援歌がありました。
子ども心に、この応援歌はてっきり先生が作ったオリジナルだと思いこんでいたのですが、最近になって、実はそれが戦前の軍歌のメロディを使っていたことが分かったんです。
その応援歌の原曲は「日本海軍」という、聞いたこともない軍歌でした。

http://www.youtube.com/watch?v=fiijvC3HEEI

私にとっては大きな発見だったので色々調べてみると、さらに意外なことに気づきました。そのメロディは、何と北朝鮮の「朝鮮革命軍歌」という曲とも瓜二つだったのです。

http://www.youtube.com/watch?v=gtbbC0fu8C4
戦前の軍歌  →共産主義国の革命歌
→小学校の運動会の応援歌
という何ともはやミスマッチな流れ。一体、どうなっているのやら。

そこで、私の中でちょっとした疑問が生まれてきたんです。

① 「日本海軍」の作者は、「朝鮮革命軍歌」の作者に対して、著作権の侵害に対して何らかの手を打つことは可能なのか?
もし、北朝鮮が、著作権の国際条約に加盟していなければ、どんな曲でも使いたい放題なのか?
そもそも北朝鮮に著作権と言う概念があるかどうか不明ですが。

② と言うことは、逆に日本の誰かが北朝鮮の曲に勝手に歌詞をつけて、仮にCDを販売しても同様に誰も文句を言う権利を持たないことになるのでしょうか?

③ 単なる子ども同士の替え歌ならともかく、小学校の運動会の応援歌として流用し、それを児童たちにおおっぴらに歌わせるとなると、著作権者から何かクレームが来たりはしないのか?