2020年の東京オリンピック招致が大変盛り上がってきました。

嘗ては、オリンピックと言うと国力高揚やイデオロギーが前面に出て、あまり好感が持てなかったのですが、昨年のロンドンオリンピックや東京マラソン、WBC等、スポーツイベントの経済効果は絶大であり、是非、東京での開催を実現させて欲しいものです。

さて、この『海をこえて友よきたれ』(作詞:土井一郎、作曲:飯田三郎)は、1964年の東京オリンピックをテーマにした歌で、63年に発売されています。オリンピックと言えば先ず三波春夫の「東京五輪音頭」※ですが、当時の小学生は学校で、この「海をこえて~」か、「この日のために」※※のどちらかを歌わされていたので、同世代の中にも「海をこえて~」派と「この日の~」派があります。

この「海をこえて~」はNHK関係の曲で各レコード会社競作だった様ですがYouTubeでは藤原良と高石かつ枝とのデュエットによる爽快な歌で、オリンピックの高揚感を伝えてくれます。特に、曲の半ばのより速く、より高く、より強く~♪のところでグッと盛り上がります。

確かに60年代前半は、より速く(新幹線開業:64年)、より高く(東京タワー:開業58年)、より強く(GNP世界第二位達成:68年)の時代で、オリンピックに引続き、ベトナム戦争、大阪万博などの特需もあって、ニクソンショック(71年)・オイルショック(73年)による高度成長期が終わる1970年代半ばまで、年間ほぼ10%と言う、今の中国と同じような驚異の経済成長率を達成しています。

この経済成長の要因としては、

・ 重化学工業に対する活発な民間設備投資と技術革新

・  国民の貯蓄率が高く(20%以上あった!)、これが銀行経由で設備投資を後押ししたこと

・ 農業離れ・人口の都市集中により(元々質の高い)労働力の供給が充足されたこと

・ 国民の消費意欲が高まったこと(貯蓄率が高く且つ消費意欲が高いと言うのがスゴイ)

・ 1ドル=360円※※※と言う為替固定レートによる輸出促進

等々が挙げられます。

この様に「海をこえて~」は、当時の経済が目指す方向感を示した曲でもあった訳です。

では、今回の新東京オリンピックに合わせて経済が目指すものは何なのでしょうか?

勿論、企業の意思決定スピードは「より速く」、倫理観は「より高く」、財務体質と経営基盤は「より強く」と根幹の部分は、「海をこえて~」の時代から変わることはありません。

一方、個別の商品・サービスについては、価値観が大きく変わっており、顧客は必ずしも「海をこえて~」の概念を求めているとは言えません。むしろ、60歳以上の人口比率が30%を超える高齢化社会において、求められているのは「より判りやすく」、「より優しく」、「より快適に」の方向感でしょう。その中で、スマホと連携した家電をウリにしている某家電メーカーの戦略は、素人には判りづらいものがあります。イメージキャラクターがアラフォー世代代表の吉瀬美智子と言うこともあり、目指しているのは「優しさ」や「快適さ」よりも「見た目のカッコよさ」を追求している様に思えてなりません。

過去数十年に亘って「カッコいいライフスタイル」を演出してきた家電メーカーには難しいのでしょうが、市場のニーズを意識した商品・サービスの提供を是非お願いしたいと思います。このキャラクターが、どう見てもスマホを使いこなせるとは思えないアラシックスの酒井和歌子さんあたりだと、顧客に「意外に便利なのかも・・・」との印象を与えるかもしれませんが・・・。

・・・ん、テーマが前回の安城家の舞踏会と同じになってしまいましたね。

さて、オリンピック時代に戻ると、富士フィルムのフジカシングル8のコマーシャルで後の参議院議員である扇千景センセイの「私にも写せますぅ」(昭和40年)を思い出しました。面倒であった8ミリフィルムをカセット化して、女性でも(失礼!)簡単に取扱い可能であることをアピールした商品です。当時高級品であった8ミリフィルム撮影機がどれだけ売れたか判りませんが、このコピーは当時大流行しました。「より速く~」の時代に、「より優しく~」の商品もあったことは、特筆に値するのではないかと思います。

尚、歌っている藤原良と高石かつ枝です。藤原は「海をこえて~」以外にも、高石とのデュエット曲が何曲かありますが、どんな人なのか判りません。高石かつ枝は、そもそも愛染かつらのヒロインである津村病院の美貌の看護師さん(演じるは田中絹代)の名前をそのまま芸名としており、藤原とのデュエットで「旅の夜風」のリバイバルまで発表しています。

(同じ例として、天地真理(本名:斎藤眞理)が梶原一騎の漫画「朝日の恋人」のヒロイン名を芸名にしたことは有名ですね)

高石はその後、「純情の丘」、「リンゴの花咲く街」など純情系青春歌謡歌手として小ヒットを飛ばしますが、注目すべきは「花の決死隊(昭和39年)」で真岡電話局の自決した9人の女性交換員をテーマにした曲を発表しており、その後のサハリンを題材とした一連のヒット曲(「ふるさとは宗谷の果てに」※※※※西郷輝彦:昭和41年、「サガレン小唄」三沢あけみ昭和41年、「サハリンの灯は消えず」「愛しのドーチカ」、「さよならサハリン」以上ザ・ジェノバ昭和43年)の先駆けとなっていることです。

※ 『東京五輪音頭』(作詞:宮田隆、作曲:古賀政男、歌:三波春夫・橋幸夫・つくば兄弟・神楽坂浮子・三橋美智也・坂本九・北島三郎・畠山みどり・大木伸夫・司富子)

尚、「東京五輪音頭」と「世界の国からこんにちは」の両方を発表しているのは、三波春夫と坂本九の2人ですが、売上は三波の圧倒的な勝利で、坂本を寄せ付けない三波のパワーを思い知らされます。

※※『東京オリンピックの歌「この日のために」』(作詞:鈴木義夫、補作:勝承夫、作曲:福井文彦、編曲:飯田信夫、歌:三浦洸一・安西愛子・ビクター合唱団)

※※※なぞなぞ「バスの運転手はお金をいくら持っているでしょうか?」、当時の回答は「180円」。なぜか判りますか?(ヒント:ちょっと前までは39円、今なら49円ですね)

※※※※「ふるさとは宗谷の果てに」はリバイバルで、オリジナルは菊池正夫(後の「骨まで愛して」の城卓也)が昭和37年に発表。作曲は菊池の実兄である北原じゅんで、ザジェノバの3曲も彼のペンによるもの。樺太出身で自身の故郷を題材にしています。