「今年の4月でした。いつものように池袋で会って、いよいよあと2カ月だな、なんて話をしていたら……」
和樹さんが、ちょっと改まった様子で、父さんにちょっと相談したい事があるんだ、と切り出したのだという。
大きく息をついた幸次さんの眉間のしわが深くなった。いよいよ、問題の核心に入るのだろうか。
「結婚式なんだけど、母さんも出席するんだ」
「うん。そりゃあ、まあそうだろうな」
「それでさ……。向こうの実家からすれば、新郎の両親が、離婚してるのに披露宴で席を並べるというのがちょっと引っ掛るらしいんだ」
「そんなこと、今の時代にはよくある話だろ。まさか、披露宴の席で喧嘩する訳でもあるまいし」
「でもさ。締めの挨拶って、大抵は新郎の父がするじゃない」
「ああ。一生に一度の事だもんな。お世話になってる方々に、ちゃんと感謝の気持ちを伝えるもんなんだろ」
そりゃまあ分かるんだけど、と言いながら、和樹さんは言った。
「母さんが、父さんには出席して欲しくないって言うんだ」
幸次さんは、耳を疑った。どういう事だ、そんな勝手な話はないだろ。
「まさかお前、由紀のそんなわがままを聞く積りじゃないだろうな!
「いや、だから、困ってるんだよ。絶対に父さんの顔は見たくないから、父さんが出席するなら自分は絶対に出席しないって言い張るもんだから」
「出たくなきゃ出ないでいいじゃないか」
「そうも行かないんだよ。……母さんは、優奈とは結構ウマが合うらしくてよく一緒に出掛けたりしてるし、あいつの実家にも何度もお邪魔してるし」
なるほど。そういう事か……。
幸次さんにも、やっと事態が呑み込めた。
「由紀は、嫁の実家をうまく丸めこんでたんです。別れた元妻と嫁の実家の連合軍で、父親を追っ払おうって算段だったんですね。哀れ父親は、いつの間にやらすっかり外堀を埋められて、身動き取れなくなっていた。でも、そんな母親の勝手な企みに唯々諾々と従う和樹も和樹だ。そう思いませんか、先生」
「確かに、仰る通りだと思います」
事実なら、確かにちょっとあくどいかも。だから、和樹さんもその辺りのデリケートな部分には触れなかったのだろうか。由紀さんがどれだけ意図的だったのかは分からないが、結果的に、幸次さんがのけ者にされたのは事実だ。
「それで、和樹に本心を聞いてみたんです。父さんが出席するのなら母さんは出席しない。母さんが出席するのなら父さんは出席できない。完全に、あちらを立てればこちらが立たず、だ。でも、決めるのはお前だ。お前は、どっちを選ぶんだって」
究極の選択ってヤツだ。和樹さんの苦衷、推して知るべし。案の定、困り果てた様子で押し黙っていたという。その強張った表情を見て、幸次さんは息子を追い詰めるのが何だか可哀そうになってきた。
「分かった。由紀の性格はよく分かってる。一度言い出したら、絶対に聞く筈ないもんな。俺が出席する事で、お前のめでたい席がぶち壊しになるって言うんならしょうがない。俺が身を退くしかないよな。結婚式は、諦めるよ」
和樹さんの困り果てた顔に、ちょっと光が差した。やっぱり俺に身を退いて欲しかったんだ、と思うと、幸次さんは何とも複雑な思いだった。
「父さん……。父さん、本当に済まないと思ってる」
和樹さんは、深く頭を垂れた。しばらくして上げた顔が半泣きになっていた。しょうがないな。やっぱり、選択肢はこれしかなかったんだ。幸次さんはそんな風に思うしかなかった。
「父さんが出席しないのに、披露宴の費用を負担してもらう訳には行かないから、結婚式の費用は後で分割で返していくよ」
「いや、それはいい。お前の人生最高の日のためなんだから、そんな事は考えなくていい」
え? どうして? お父さんが、結婚式の費用を返せって言うから、和樹さんは相談に来たんじゃなかったの?
私は、喉まで出かかった疑問を飲み込んだ。幸次さんの表情が、何だかさらに険しくなってように見えたから。
「その時は、本当にそう思いました。そもそも、あいつのためにこつこつ貯めてきたお金だ。あいつのめでたい門出に使えるのなら、まさに本望じゃないか。俺が出席するかしないかの問題じゃない」
ならば……。
ますます、私の疑問はふくらんだ。
「結局、結婚式の当日、私はいつも通り一日中仕事のハシゴでした。午前11時頃、ああ教会で式が始まってるなあとか、12時にはそろそろ披露宴だなあとか、スーパーの仕事が上がった時には、ああ無事終わったかなあ、とか。花嫁の父でもあるまいし、いやお恥ずかしい」
幸次さんの表情が少しだけ和らいだ。
色んな親子を見てきた。でも、ここまで子どもの事だけが生甲斐という父親はそうはいない。
「あの。じゃあ、和樹さんに結婚式の費用などを返せと請求されたのは、式の出席を拒否されたのが原因じゃないんですか?」
幸次さんは、ちょっと考えてから言った。
「最終的に出席しなくてもいいって言ったのは、他ならぬこの私ですからね。あの時点では、渋々ですがまあ納得してました」
「あの時点では?」
「はい。実は……」
結婚式の後、しばらくしてから、午後の仕事の休みを取って幸次さんは区役所の戸籍係に行った。これまで戸籍なんて気にした事もなかったが、和樹は明治以来続いた老舗木下酒店の直系の後継ぎだ。自分の代で潰してしまって、今さらどのツラ下げてとは思うが、この機会に戸籍を確認しておこうと思ったのだという。
戸籍謄本は、まず筆頭者として幸次さん、元妻の由紀さんが8年前の離婚時点で除籍となっている。そして、長男である和樹さんも、つい先日、婚姻と同時に2人で新たな戸籍を作って幸次さんの戸籍から外れていた。ちなみに幸次さんは、離婚した時、まだ未成年だった和樹さんが木下幸次の戸籍に残るのならばと、親権を由紀さんに譲る事に同意したといういきさつがある。
自分の戸籍を確認して、幸次さんは思った。和樹が自分の戸籍を出て新たな一歩を踏み出した事で、木下家はまがりなりにも次世代に引き継がれた。これで、ひとまずは安心だ。
そこまで考えて、幸次さんの脳裏に一つの疑問が生まれた。和樹は、先祖代々の木下家の本籍地も引き継いでくれたんだろうか? 和樹とそんな話をした事もなかったが、こうして土地も建物もすべて喪ってしまった今、あの地に木下という家が存在した証しは、この先和樹の本籍にしか残らない。そう思うと、その事が、ものすごく重要なことに思えてきたという。
和樹さんの新戸籍にも目を通しておこうと思い立って、幸次さんは戸籍係の窓口に戻った。担当者に確認すると、父親であれば息子の戸籍謄本を取る事は可能だという。早速確認して貰うと、和樹さんの新戸籍の本籍地は、幸次さんと同じ木下家代々の住所になっていた。
「ほおっと一息つきました。一樹が、私や木下の家の事をそれなりに思いやってくれていたんだと思うと、内心うれしかった。私は、受け取った2通の謄本を持って、ちょっと浮き浮きしながら帰宅しました」
そういう幸次さんの表情は、しかし、少しも浮き浮きしてはいない。
「帰宅してから、改めて自分と長男の2通の戸籍謄本を並べてじっくりと眺めてみました。区役所で確認した通り、私も和樹も本籍地は同じになっています。それはいいんですが……」
幸次さんは、ため息をつきながらうつむき、すぐに顔を上げた。
「そこで、私はちょっと妙な事に気付いたんです」

つづく (^.^)/~~~