その後、父親の幸次さんはさらにふさぎ込むことが多くなり、心療内科で双曲性のうつ病と診断された。マルチ商法で大きな被害を受けたお母さんも、その負い目もあったのか、見るも無残にやつれ果てていた。しかし、八方ふさがりで何の展望もない中、両親は、いたわり合うどころかお互い顔を見ればののしり合うようなとげとげしい毎日。一緒に暮らすことはもはや限界だった。
そして、とうとうお母さんは、高校生になっていた和樹さんを連れて練馬の実家に帰ることになった。和樹さんの受験勉強のことを考えれば、幸次さんも同意せざるを得なかったようだ。
「実家の両親はもう亡くなっていて、母の弟一家が住んでいました。2人のいとこはまだ小さくて、叔父夫婦もとてもよくしてはくれたんですが、母子そろって居候というのは、やっぱり何となく居づらくて。とにかく早く大学に入って、家を出ることばっかり考えていました」
生きがいだった事業はどん詰まり、妻には見捨てられ最愛の息子も去って完全に一人ぼっち。これで、精神状態が改善するはずがない。大量に調合された抗精神薬の副作用もあったのか、お父さんの気力は見る見るうちに失せていった。朝、ふとんから起き上がるのも一苦労という状態で、商品の管理もできず次々に辞めていくアルバイトの補充もできず、店は営業したり休んだりを繰り返す有様。
家を出た後、和樹さんは、母には内緒で月に一度は父親を訪ねていた。
「ぼくの顔を見た瞬間、父の表情がぱあっと輝くんです。でも、しばらくしゃべってると、何だか目がうつろになって言ってることが上の空になってしまって。集中力が続かないっていうか」
やっぱり様子が変だ。このままじゃまずいと思いながらも、所詮は高校生。母へのはばかりもあってどうすることもできなかった。
その後、お父さんは気力をふりしぼって、弁護士とも相談して何とか事業を続けられないかと八方手を尽くした。売り上げがどんどん伸びていた頃は手厚いサポートをしてくれていたコンビニチェーン本部も、経営が傾いてロイヤルティの支払いが遅れるようになって以降、ものの見事に手のひらを返した。日によって開店したりしなかったりではブランドのイメージダウンもはなはだしいと、フランチャイズ契約の解除を強く迫ってきたのだ。原因はすべてこちらにあるだけに、当然大きな違約金が発生することになる。民事再生や任意整理などの方法も探ってみたが、裁判所での手続き中に突然奇異な行動を取ったり、債権者との交渉の席でも、心ここにあらず状態になってまともな会話が成立しなかったりということが続いた。間もなく、長い付き合いだった地元の信用金庫にも完全に見限られてしまい、ついには頼みの弁護士もサジを投げて言った。
「もう、自己破産しかないですね」
とはいっても、預金も株も有価証券もとっくの昔に処分してなくなっていたし、たび重なる借金で何重もの抵当に入っていた自宅の土地家屋も、破産宣告を待たずに既に競売手続きに入っていた。
こうして、幸次さんは、先祖代々受け継いできた店舗と住み慣れた家から追われて、近所の古いアパートに移った。財産は一切なく、まったくゼロからの再スタートだった。とは言え、破産手続きは借金を消し去ってくれたものの、病気まで帳消しにしてくれたわけではない。再スタートと言えば聞こえはいいが、うつ病を抱えた50男の新生活に、展望は何一つなかった。
「ぼくが何とか志望の大学に合格したのは、この頃でした。合格を報告するために、父の暮らす木造アパートを訪ねました。予想はしてたものの、廊下はギイギイときしみ、トイレは共同という6畳一間の殺風景な部屋。すっかり色のあせた座卓からよろけながら立ち上がった父の姿を見て、ぼくは声も出ませんでした。あんなに必死に頑張ってきた父が、この年になってそんな身の上になるなんて・・・・」
言葉がちょっと途切れて、和樹さんはまたハンカチで目を押さえた。
「でも、父さんは、ぼくの合格を心から喜んでくれました。どうやら奨学金ももらえそうだし、大学の寮に入ってアルバイトで頑張るって言ったら、馬鹿言うな、お前の生活費ぐらいは俺が何とかする。任せとけって」
お父さんは、何だか熱に浮かされてるみたいだったという。無理もない。もう長いこと、逆風に次ぐ逆風の中、わき目も振らずただただ必死で頑張ってきたのだ。最愛の和樹さんからもたらされた朗報は、もう限界まで来ていたお父さんの心をいやし、あらためて生きていく張りを与えてくれたことだろう。
お父さんは和樹さんに言ったという。
破産して家も財産もすべて吹っ飛んだけど、借金の方も吹っ飛んだんだ。考えようによっちゃ、働いても働いても底なしの借金に消えてた頃に比べりゃ、これからは働けば働いただけお金が増えるんだ。こんなおんぼろアパート暮らしなら、大して生活費もかからない。だから、お前にはできるだけのことはしてやる。
俺はな、とお父さんは続けた。
お前の一番大事な時に事業が傾いてしまって、何にもしてやれなかったことが悔しくて悔しくてしょうがないんだ。だから、お前にはもう絶対に不自由はさせない。これからお前は、バイトに明け暮れたりしないで、勉強も遊びもとにかく学生生活を楽しむんだ。これが、父さんの精一杯の罪ほろぼしだ。
「精神的にまだ不安定なもんだから、大した根拠もなくそんなことを言ってるんだと思いました。だって、破産した中年男が簡単に定職につけるはずもないから、パートでいくら頑張ったって、月に手取りで20万に届くかどうか。いくらぼろアパート暮らしでも生活費はかかるから、大した仕送りなんてできるはずないじゃないですか」
その通りだと思う。中年になってリストラされたり転職したりという男性を数多く見てきたが、どうにかこうにか生きて行くこと、日々食べて行くことだけで精一杯というのがお定まりのパターンだ。
「でも、父は、それから毎月12万円の仕送りをしてくれたんです。大学の4年間ずっと、ただのひと月も欠かさず。実は、卒業してからも続けてくれたんです。もう大丈夫だからと言っても絶対聞き入れてくれなくて。それから大学4年の夏、就職の内定をもらった頃ですけど、お前がいざという時のために貯金をしてるって言うんです。もう何百万も貯まったって言うから、ちょっと耳を疑いました。相変わらずのぼろアパート住まいで、衣食の方もぎりぎり切り詰めたとしても、そんな貯金ができるほどの収入があるはずがありません。一体どうやってって、いくら聞いても、そんなことは気にするなって笑うだけでしたけど」
爪に火をともすような生活?
そんなイメージが脳裏に浮かんだ。どれほどの逆境にあろうとも、人は生きがいさえあれば頑張れる。すべてを失ってしまったお父さんにとって、ただ一つの生きる張りが和樹さんという存在だった。それは分かるれけど、人はかすみを食って生きられるわけじゃあるまいし、限度というものがある。精神状態が回復して、パート以外に何か収入の道が見つかったんだろうか。
それにしても・・・・。
私は、テーブルの内容証明郵便をもう一度手に取った。
確かに、「6年余りの間手渡してきた月々12万円、合計768万円の返済を請求する」となっている。お父さんは、大学の4年間、そして卒業して就職した後もずっと、欠かすことなく仕送りを続けてきた。そして、結婚式費用の480万円というのは、なけなしのお金をコツコツと貯めてきたお金だったのだろう。
「和樹さんの事が生きがいだったお父さんが、一体どうして、突然返済を求めて来られたのか、心当たりはありますか?」
和樹さんは、大きくため息をついてうつむいた。
「父は、母の事を激しく憎悪していました」
憎悪?
そりゃあ、事業が傾きかける中、マルチ商法にうつつを抜かしたことが許せなかったことは分かる。でも、それはあくまで、何とか事業の立て直しに少しでも役に立ちたいというやむにやまれぬ思いがあったからだろうに。
でも、憎悪の原因というのはそんなことじゃなかった。
「ぼくが大学に入ったのをきっかけに、そろそろけじめをつけようという母からの申し出で両親は離婚しました。分ける財産も一切ないし、どちらか一方に離婚原因があったわけでもないということで慰謝料の問題はありませんでした。ぼくはまだ未成年でしたが、大学の寮に入ってしまうので、形の上では父親を親権者にしたことで父は納得したようです」
「まあ、円満に離婚されたということですね。じゃあ、激しい憎悪というのは? 離婚後に何かあったんでしょうか」
「ええ。実は、その・・・・」
和樹さんは、言いよどんだ。
こんな時、せかしてはいけない。私は、和樹さんの言葉をしんぼう強く待った。
「実は、離婚後じゃないんです」
和樹さんは、しぼり出すように言った。
「母は、ぼくの中学時代の担任だった先生と、その・・・・、ずっと親しく付き合ってたんです」
つづく (^.^)/~~~
コメントを残す