Author: monju (page 9 of 9)

◆file.7b◆ オリジナルか盗作か、どうやって見分けるの?にお答えします。 2012-05-31

ひらめき 著作権の根本になるのは、複製権(著作物をコピーして利用する権利)です。

そのまんまコピー(デッドコピー)は勿論のことですが、元の著作物の一部を「流用」したり「引用」したり「転載」したりすることも、複製権侵害に当たります。
ただ、「引用」については、公正な利用などいくつかの条件を満たせばOKとなりますので、例えばテレビや新聞、雑誌で著作物の一部を使用する場合は、大抵これで逃げているようです。

さて、判断が難しいのは盗作問題です。 クリックして続きを読む

◆file.7a◆ オリジナルか盗作か、どうやって見分けるの? 2012-05-18

exclamation&question【昭和歌謡フリークの方からの御質問】

先ず、以下のyoutubeの映像を見てください。

どこか聞いたことのあるメロディですよね。
そう、天地真理「水色の恋」とソックリです。
ちょっと気になったので、調べてみました。すると、「水色の恋」の作詞作曲に、それぞれスペイン語の名前が出てくるんですよね。 クリックして続きを読む

◆file.6◆ 光市母子殺人事件死刑確定 2012-03-09

2月20日、光市母子殺人事件上告審判決が出ました。

大方の予想通り、死刑。
広島高裁の無期懲役を破棄して差し戻したんですから、当然と言えば当然の結果かも知れません。

母親を殺した上に死体を汚し邪魔な乳児を絞殺するという残虐非道、殺された母子の夫であり父親である男性の悲痛と憤怒、復活の儀式だとかドラえもんだとかおぞましいストーリーを展開した弁護団の信じがたい神経。人々の感情は激しく揺さぶられ、メディアは群がりました。

この日、死刑判決の言い渡しがあったのは午後3時。その直後から、NHKを含む全テレビ局が顔写真入りで、翌日の新聞各紙も一斉に実名報道を開始しました。でも、そんな中でも、在京紙では毎日と東京両紙のみが匿名報道を続けています。
毎日新聞はこの事件を実名で描いたノンフィクション(「福田君を殺して何になる」2009刊)を批判して著者から提訴されたという点を割引くにしても、日頃からメディアのあり方を真摯に模索し続けているこの2紙のみが足並みを揃えなかったのは実に興味深いところです。
マスメディアからネットまで、世の中に元少年の名前も顔写真も溢れている中、敢えて匿名報道を続けることに実質的な意味は何ひとつありません。しかしながら、ドン・キホーテと笑われようとも、自社のジャーナリズムとしての立ち位置と志を頑として曲げない一徹さは特筆に値します。

各大手メディアは、「更生の機会が消え、社会復帰への配慮が必要なくなった」と申し合わせたように理由づけています。
でも、この理由づけって、ホントに根拠はあるのでしょうか?

ちょっと少年法をひも解いてみましょう。
その最終章は、次のような条文となっています。

第61条 家庭裁判所の審判に付された少年又は少年のとき犯した罪により公訴を提起された者については、氏名、年齢、職業、住居、容ぼう等によりその者が当該事件の本人であること推知することができるような記事又は写真を新聞紙その他の出版物に掲載してはならない。

そこには、「更生の可能性」も「社会復帰への配慮」も一切書かれてはいません。一体、各メディアの編集責任者は、一度でもこの条文に目を通したことがあるのでしょうか?
あるはずがありません。メディアの人間は、法律など坊さんのお経ぐらいにしか思っていません。
おそらく、各メディアの社会部デスククラスが非公式に連絡を取り合って、法律にのっとった判断であるかのような言い訳で歩調を揃えたのでしょう。もし問いただしたとしても、きっと歩調を揃えて一斉に否定するでしょうが。
ジャーナリズムとしてのプライドをかけて、実名報道をすべきと考えるなら最初から実名で、さもなくば最後まで匿名で筋を通すべきなのではないでしょうか。その点、毎日と東京の姿勢は際立っています。

でも、メディアの自主規制や横並び報道とは全く別の次元で、私は匿名報道に強い違和感を感じています。
【◆file.2◆ 少年犯罪死刑囚の顔写真】でも書いたように、死刑囚のプライバシーや人権にこだわることに対する違和感です。理由はともあれ、国家による殺人という最大の人権侵害を受けた存在に、今さらプライバシーを声高に叫んで何ほどの意味があるのか。
むしろ、取り返しのつかない罪を犯し、極刑を受けざるを得なかった人間がその罪を犯すに至った背景を受け止め、その顔と名前をしっかりと目に焼き付けておくべきなのではないか。それこそが、死刑制度を続けている国の主権者である私たちの義務なのではないでしょうか。

光市事件で、死刑廃止論のリーダーと言われる安田弁護士が主任弁護人となった大量21人という大弁護団は、「復活の儀式・ドラえもん戦略」で世論を完璧に敵に回し、結果的に一審で無期懲役だった元少年を死刑にしてしまいました。何たる皮肉でしょう。
熱烈な死刑廃止論者でも、ここまで人の心に鈍感な弁護士を支持する人はいないでしょう。今や政界の風雲児となった関西の弁護士市長が、かつてTVでこの弁護士たちの懲戒請求をあおったことも、軽率とはいえ分からないではありません。

今回の最高裁判決では、一人の裁判官が反対意見を述べています。これは、戦後間もない時期を除いて例のない極めて異例の事態とのこと。死刑判決は全員一致によるというのは、最高裁の「鉄の規律」とまで言われていた筈です。
国家が人の命を奪う究極の刑の判断が、全員一致によるものではなかった。この事実は、決して見過ごすわけにはいきません。極刑を選択するには、ほかの刑では決して償えないと誰もが納得するだけの厳密性が要求されるべきであるはずです。

でも、死刑は確定しました。
ならばせめて、私たちは、彼があれほどおぞましい罪を犯した背景を知るべきだと思います。
3年も前に、彼の実名と写真を掲載した「福田君を殺して何になる」。
わざわざ実名をタイトルにするなど、この本の売名的な姿勢は決して好ましいものではありませんが、少なくとも筆者は徒手空拳、必死で取材を敢行して、大手メディアがまったく報道することのなかった彼の生い立ちと人となりに肉薄しています。
また、この本には、「復活の儀式・ドラえもん戦略」に異を唱えて解任された心ある弁護士の手記も掲載されています。

もしも死刑が正義だというのであれば、この確定判決に万歳を叫んだ私たちは、せめてこうした本から、国家によって殺される人間の人物像をしっかりと受け止めるべきなのではないでしょうか。
私たち一人ひとりが「罪と罰」に思いを馳せる機会をもたらしたこと。それは、償いようのない犯罪を犯した人間が、この世に残すことができるたった一つの遺産なのかも知れません。

◆file.5◆ 少年犯罪死刑囚の顔写真 2012-02-28

「フライデー」誌が死刑が確定した元少年の写真と実名を掲載しました。

かつて「フォーカス」誌が、2人の子どもを惨殺したうえ世間をあざける犯行声明を出した14歳の少年の顔写真を掲載したように、社会正義を錦の御旗に、またぞろ俗人の好奇心を刺激する記事を載っけたのだろうと思いました。しかし、その予想は外れていました。

この事件は、1994年、3人の不良少年が各地でリンチを繰り返し、4人の命を次々とを奪ったという悲惨この上ないものでした。報いやあだ討ちの感情の強い普通の日本人なら、このような鬼畜がこの世に存在すること自体が不正義で国家の損失だから、直ちに死刑にすべきだと考えて当然の事件です。
でも、「フライデー」のこの記事に目を通せば、この外面上のストーリーが事実の一断面にしか過ぎないことに気付かされ、事態はまったく異なった様相を見せてきます。
少年時代、無知未熟のゆえに取り返しのつかない罪を犯してしまった男がその罪をあがなうには、国家がその命を奪うしか方法はないのか。人間の叡智は、文化は、死刑以外に、遺族の果てしない恨み喪失感を埋める方法を探し当てることはできないのか。数千年を経ても、人類は、ハンムラビ法典から一歩も踏み出せないのか……。この記事を読んで、そんなことに思いを巡らせない人はいないでしょう。

でも、ひょっとすると、この力のこもったルポルタージュは、対象にのめり込み過ぎてしまった一ジャーナリストの主観・思い込みに過ぎないかも知れません。また、隠しカメラで撮影した死刑囚の大きなまん丸の純朴そうな目は、気が良さそうだとも、無知で愚鈍そうだとも、何も考えてないようだとも、どうとでも解釈することが出来ます。
しかし、この写真とルポルタージュが相まった時にこそ、見る者は根源的な何かを突きつけられるのです。
それはまるで、写真とルポルタージュという2つの表現が相乗的な化学反応を起こしたようなものかも知れません。表現者が、「事実」と「真実」の間に横たわる深い裂け目を乗り越えようと、力の限りを尽くした結果に違いないと思うのです。

これに対し、35歳になった死刑囚の罪は少年時代に犯したものだから写真や実名を掲載するのはいかがなものか、と大メディアを中心に少年法を盾にこの記事に疑問を呈する向きもありますが、いささか当を欠いているのではないでしょうか。ましてや、「少年法の趣旨に反し人権上重大な問題がある」との声明を発表した東京弁護士会の形式的な行動は、完全に的外れというしかありません。
最高裁が「更生の見込みはないから死ね」と最終判断を下したこの青年に、果たして、今更人権などという概念が通用するものかどうか。犯人を殺すのはいいけど写真や実名を出すのは問題だなんて、たちの悪いブラックジョークとしか思えません。

皆さん。もしコンビニでこの雑誌を見つけたら、5分間だけでいいから、ちょっと立ち読みしてみて下さい。そして、人の命について、国家の合法的な殺人について、また死刑でなければ気が済まない、でもそれで癒されることなど決してない遺族の無念について、ちょっと思いを巡らしてみてはいかがでしょうか。

◆file.4c◆ 歌は人類共通の財産……なんだろうな。 2012-02-08

晴れ 替え歌づくりも大変なんですね。思えば、昔はのんびりしてたんだなあ。

そういえば、軍歌と共産主義の応援歌っていえば、「歩兵の本領」と「メーデーの唄」のことを思い出しました。

http://www.youtube.com/watch?v=FJreugfgJUw
http://www.youtube.com/watch?v=WcBZ2RWUbec

「メーデーの唄」は、6・70年代の左翼運動華やかなりし頃のシンボルソングでした。
50代以上の方であれば、「聞け万国の労働者、轟きわたるメーデーの……」という勇壮な歌声を聞けば、きっと感慨深いものがあるでしょう。

るんるん でも、実はこの2つの曲にもさらに元歌があるんですよ。
「アムール川の流血や」というものすごいタイトルの歌なんですが、元をただせば19世紀末頃の旧制第一高等学校(東大予科)の寮歌なんです。

http://duarbo.air-nifty.com/songs/2007/08/post_8ac1.html

歌詞をよくよく読んでみると、帝国主義礼賛も甚だしくて、ちょっとついていけません。
一高寮歌といえば、「ああ玉杯に花受けて」がまっ先に思い浮かびますが、格調は高くとも一般庶民を見下すような歌詞には、やはり権力志向と言うかエリート臭が付きまといます。

紅もゆる1.jpg

一方、三高(京大予科)寮歌となると、有名な「紅もゆる丘
の花」といい、加藤登紀子の歌でヒットした「琵琶湖周航の
歌」といい、叙情味あふれる自由な気風が漂っているように
感じるのは私だけでしょうか。 a

 

 

カメラ=昨年、三高ゆかりの吉田山で撮影

◆file.4b◆ 替え歌は盗作かオリジナルか? 2012-02-07

ひらめき 軍歌と社会主義と運動会応援歌とのトライアングルというのは、なかなか興味深いとらえ方ですね。

日本人の普通の感覚からすれば、社会主義や左翼思想というものは、戦前の軍国主義の対極にあったはずでした。しかし、かの国の「先軍政治」を持ち出すまでもなく、ソビエト赤軍や中国の八路軍を思い浮かべれば、社会主義・共産主義が常に国家主義・軍国主義をともなうのは歴史的必然でもあるのでしょう。
当然です。共産主義革命は独占資本主義=帝国主義体制を転覆するための暴力革命なのですから、新たな体制にはその暴力装置が不可欠になるわけです。ところが、日本の左翼思想は、戦前、共産主義に国家的弾圧を繰り返した帝国主義と、その重要な構成要素であった軍国主義を激しく憎悪しました。そこから日本独自の【左翼=反軍国主義】という概念が生まれたという考え方もあります。
ですから、軍歌と社会主義とのミスマッチ感覚は単なる錯覚に過ぎなくて、実は、両者は根っこのところで実に親和性が高かったのかも知れません。

おっと、ちょっと脱線してしまったようです。
ひらめき 御質問にお答えしましょう。
残念ながら 「日本海軍」の作者は「朝鮮革命軍歌」の作者に、著作権の侵害に対して何らかの手を打つことは不可能です。

北朝鮮の映画を無断でテレビで使用され著作権を侵害されたとして日本テレビとフジテレビが訴えられた事件がありました。去年の12月、最高裁は、一審二審に続き、「国家として承認していない北朝鮮の著作物の保護義務はない」として原告の請求をすべて退けたのです。
実は、北朝鮮は著作権を保護する条約に加盟しており、原告は「加盟国同士だから、日本でも北朝鮮著作物の保護義務がある」と主張していました。条約加盟国間では、「内国民待遇」と言って、相手国の国民と同じ権利が与えられることになります。したがって、北朝鮮の著作物も、日本の著作権法で保護されるという主張も一理あります。

しかし、ご存じのように、日本は北朝鮮を国家として認めていません。未承認国が条約の一員になったからと言って国家として承認したことにはならず、したがって未承認国の国民の権利を認めることは出来ない、というのが裁判所の判断の根拠でした。

となれば、逆に北朝鮮が「日本海軍」を元歌にして「朝鮮革命軍歌」を作ったとしても、日本の著作権者は文句を言えないということになります。北朝鮮側も、日本を国家として認めていないからです。
以上、この最高裁の判断からすれば、ご質問のように、日本の誰かが北朝鮮の曲に勝手に歌詞をつけてCDを出しても違法とはならないでしょう。

ただし、これは、あくまで日本の法律をベースにした考え方に過ぎません。あのお国でも、はたして日本と同じような考え方を取ってくれるのかどうか。
同じ条約の加盟国でも、国交のない国同士では条約の規定は通用しない、つまりそれぞれの国の法律に従う、ということは……。
もし北朝鮮の法律で、著作権を侵害した者は死刑(!)とでも規定されていたらどうなるのか?
あまり想像したくありませんね。いずれにしても、北朝鮮の曲に勝手に歌詞をつけてCDを出すのはやめておいた方が無難でしょう。

ひらめき もう一つのご質問、小学校の運動会の応援歌として児童たちにおおっぴらに歌わせることが可能かは、ちょっと微妙です。
基本的に教育の現場では許可なく著作物を使えるのですが、今回のように替え唄として内容を変えて使うことまでは認められていません。ただ、元歌とはまったく違う歌詞をオリジナルで作ったのならば、逆に作詞者の権利は及ばなくなります。歌詞とメロディとはそれぞれ独立した別の著作物とされているので、この場合、メロディだけをそのまま使用してオリジナルの詞を付けたと考えれば、自由に上演・演奏できる可能性は高いのではないでしょうか。

ちなみに、替え唄というのは、なかなか難しい問題をはらんでいます。
ちょっと難しく言えば、一つは財産権としての翻案権の侵害、もう一つは人格権としての同一性保おふくろ.jpg持権の侵害の可能性です。
森進一が名曲「おふくろさん」の歌詞をちょっと変えて歌ったことが、作詞した川内康範の逆鱗に触れたことは記憶に新しいでしょう。その後、川内さんは亡くなりましたが、その著作権は死後50年間残ります。つまり、もし歌詞を一部変更して歌いたいなら、50年間は、川内さんの相続人にその許可を得なければならないのです。
同様に、テレビでタレントが替え歌を歌うような場合には、元の詞をベースにするなら作詞家から変更のOKをもらっておかなければなりません。ちなみに、「替え唄メドレー」シリーズで有名な嘉門達夫の場合、作曲家・作詞家・歌手らすべてから許可を取っているとのことです。

(写真はビクターレコードジャケットより引用)

◆file.4a◆ 替え歌って、やっぱり盗作じゃないの? 2012-02-06

exclamation&question【軍歌フリークの方からの御質問】

もう何十年も前のことになりますが、小学校の運動会でみんなで歌った応援歌がありました。
子ども心に、この応援歌はてっきり先生が作ったオリジナルだと思いこんでいたのですが、最近になって、実はそれが戦前の軍歌のメロディを使っていたことが分かったんです。
その応援歌の原曲は「日本海軍」という、聞いたこともない軍歌でした。

http://www.youtube.com/watch?v=fiijvC3HEEI

私にとっては大きな発見だったので色々調べてみると、さらに意外なことに気づきました。そのメロディは、何と北朝鮮の「朝鮮革命軍歌」という曲とも瓜二つだったのです。

http://www.youtube.com/watch?v=gtbbC0fu8C4
戦前の軍歌  →共産主義国の革命歌
→小学校の運動会の応援歌
という何ともはやミスマッチな流れ。一体、どうなっているのやら。

そこで、私の中でちょっとした疑問が生まれてきたんです。

① 「日本海軍」の作者は、「朝鮮革命軍歌」の作者に対して、著作権の侵害に対して何らかの手を打つことは可能なのか?
もし、北朝鮮が、著作権の国際条約に加盟していなければ、どんな曲でも使いたい放題なのか?
そもそも北朝鮮に著作権と言う概念があるかどうか不明ですが。

② と言うことは、逆に日本の誰かが北朝鮮の曲に勝手に歌詞をつけて、仮にCDを販売しても同様に誰も文句を言う権利を持たないことになるのでしょうか?

③ 単なる子ども同士の替え歌ならともかく、小学校の運動会の応援歌として流用し、それを児童たちにおおっぴらに歌わせるとなると、著作権者から何かクレームが来たりはしないのか?

◆file.3◆ 中途退学の場合の授業料の返金について。 2011-06-05

■相談file.1■では、入学辞退者の授業料返還についてのお話をしました。

それでは、大学以外の専門学校なども含め、4月の年度が始まって以降の中途退学の場合の授業料返還についてはどうなっているのでしょう。

大学の授業料返還については、2006年の最高裁の判決が基準になっています。この判決、簡単にいえば、「入学金は『入学できる地位の対価』なので入学辞退者に返還する必要はない。しかし、その他の授業料や設備費などは、3月31日までに辞退を申し入れれば原則返還しなければならない」ということです。

その根拠となっている法律が、2001年に施行された「消費者契約法」。入学していないのだから学校は退学による損害を受けておらず、損害以上の賠償を禁止する消費者契約法に反するためです。ただし、最高裁が言っているように、入学年度が始まる4月1日より前に入学辞退を申し出た場合に限る、というのが基本です。

消費者契約法施行以前の入試に関する訴訟の場合は、入学金、授業料、施設費などすべて返還する義務はないとしていました。入学も契約の一つです。つまり、学校は学生に対して教育を受ける機会や施設を利用させる代わりに、学生はその対価(代金)を学校に支払うということになります。裁判所は、学校と学生の間のこの契約には消費者契約法の適用があるとしています。

さてそれでは、退学を申し出るのが4月1日以降になってしまった場合、授業料などの返金を求めることは不可能なのでしょうか? もし仮に、4月に入ってからどうしても退学しなければならない事情が生れたら、たとえ1回も授業を受けなかったとしても授業料は1円も返ってこないのでしょうか。
仮に裁判に訴えても、上の最高裁判例があるので、いくら腕利きの弁護士が付いてもまず勝てる見込みはないでしょう。

でも、実は、裁判以外にいくつかの方法があるんです。そのとっておきの方法を、そっとお教えしましょう。

①  消費者センターや国民生活センターなどの公的機関に相談する。
でも、担当者は、先ほどの最高裁の判例を例に挙げて、「3月中だったら大丈夫だったんですけどねえ。4月に入ってからでは、ちょっと無理ですね」と冷たく言われちゃうかもしれません。

でも、そこで諦めてはいけません。次の手立てを考えるのです。

②  例えば、悪質な事業者に是正を申入れたり協議をしてくれるNPO法人があります。こうした組織は、消費者トラブルの実例を、ホームページで実名入りで公表することになっています。もしこの機関が取り上げてくれれば、信用が第一の学校にとっては大きなプレッシャーになるはずです。

③  聞きなれない言葉かも知れませんが、ADRという方法もあります。裁判に訴えることなく交渉でトラブルを解決するという、最近注目されている方法です。
政府系の機関の中には、学生と学校との間に入って和解交渉の仲介をする権限を持っている場合があるのです。こうした公的機関から仲介の連絡を受けたら、公共性の高い学校は、それを無視するのは難しいでしょう。そして、公的な仲介者が間に入った和解交渉が始まれば、さすがにゼロ回答という訳にはいかなくなる可能性が高いのではないかと思われます。

こうしたやり方を、実際に素人が実行するのはなかなか大変かもしれません。でも、ものものしい裁判と違って早期の解決が可能だし、何といっても経費がほとんどかからないのが最大の利点です。
本来であれば全額没収だった授業料が、ごく一部でも返ってくるならば、それだけの苦労をする甲斐もあろうってもんじゃないですか?

以上、もし授業料返還について困った時は、ぜひ“文殊”に無料相談を。

◆file.2◆ 離婚と財産分与と住宅ローン 2011-02-27

exclamation&question 文殊アシスタントの三田律子です。

離婚時の財産分与で住宅ローンが残っている場合、いろいろな要素が複雑にからみ合いますよね。

例えば、
不動産の名義は誰か? ローン名義は誰か?
売却するのか? どちらかがそのまま居住するのか? 所有権は移転させるのか? その後のローンは誰が負担するのか? さらに夫には借金があるとか、失業中だとか……
などなど、事情が複雑にからみあっていて、とても一筋縄ではいきません。

先日、こんな電話相談がありました。協議離婚したばかりの30代の女性からです。
彼女は、住宅の所有権を夫から移転してもらい、ローン名義は夫のまま支払いを続ける約束で離婚したそうです。
でも、最近、元夫の会社の業績が悪化しているという話を聞いて、すごく不安になってきたとのこと。もし夫が支払いを滞納して支払不能になったら、ローンの抵当権が実行されて妻は住宅を失うことになります。
こんな場合、奥さんにとって、どうするのが一番リスクが少ないんでしょうか?

 

るんるん さうですね。住宅名義を夫から妻に移してローン名義は夫のままで、いふのは難しいでせう。そもそも住宅ローンは、「所有者=ローン名義人」であることが基本。抵当権付きのマンションの所有権の移転を、金融機関がおいそれと認めてくれるとは思へません。

となると、だうしても妻がマンションの名義を移したいのであれば、
①残債について、受け取った不動産を担保として、元夫を債務者、元妻を物上保証人とするローンを新たに組む
②元妻が自分で残債分のローンを新規に組むか、元夫のローンを月々の慰謝料+自力でぐわんばって返済していく
しかないのではないでせうか。
でも、別れた夫が、生活費や養育費を、将来ずっと支払ってくれるものかだうか、はなはだ疑問です。冷静に考へて自己返済が困難だと判断するならば、現段階で住宅を売却し、それをベースに新規巻き直すことを考へるべきではないでせうか。残債がどれぐらい残ってゐるのかは分かりませんが、そんな夫をチョイスしたのは他ならぬ自分自身。基本的には元夫に頼らないで生きていく覚悟で、新たな一歩を踏み出すことをおすすめします。

 

ひらめき 三田です。ちょっと調べてみたら、不動産の名義だけ妻に変更はできるみたいですね。
所有権を自分に変更したから安心していた女性から、元夫がローン滞納したから銀行から抵当権実行、競売されそうだという相談もよく聞きます。

所有権持ってても、残念ながら抵当権には対抗できない、…みたいな回答にならざるを得ないみたい。
これって、随伴性とかそういう性質が関係してるんですか?

 

るんるん さうですね。抵当権つきの土地の所有権が移転すると、所有権とともに担保権も移動(随伴)することになりますね。
無論、抵当権付きだから譲受人の地位はとても不安定なものになります。銀行に抵当権消滅請求をするか代価弁済といふことになるけど、奥さんに十分な資力があるとは思へないから、どちらも難しからうと思ひます。

◆file.1◆  大学の授業料を返してもらえますか? 2010-12-10

街角の法律活用術

exclamation&question 文殊アシスタントの三田です。

私の知人で授業料の件で困っている人がいます。こんなケースはどうしたらよいでしょうか?

「息子が、学校推薦で某大学に合格を頂いたのですが、本人は学校が勝手に決めた大学なんてと、入学式にも出席せず、結局その後も一度も通学していません。家族みんなで随分説得したのですが、本人はとにかく勉強も嫌いなもので、通う気はまったくありません。

いつまでも宙ぶらりんにしたままでは、大学に対しても失礼なので、大学に退学届けを出そうと思っています。ただ、まさかこんなことになろうとは思わず、入学金を払い込む際、一年分の授業料を一括払い込みをしてしまっています。合計すると、100万円を超えます。入学金は、まあ仕方がありませんが、一度も出席していない授業料は、どぶに捨てたようなものです。何とか、一部でも返還して欲しいのですが、可能でしょうか?」

 

ひらめき 私なりに、頑張ってちょっと判例を調べてみました。
未受講分は不当利得として返還請求が可能みたいですね!

①不当利得返還請求事件
東京高裁H17/2/24
原審東京地裁H15/10/23

②学納金返還請求事件
京都地裁H17/3/25

③不当利得返還請求事件
横浜地裁H17/4/28

 

るんるん 不当利得の返還請求という観点は、とても興味深いものがありますね。

この場合、大学側が授業の提供という債務を履行しているのに、本人が自分の都合で勝手に受講しなかったということになります。民法的の原則から言えば、相手方の履行提供がありながら本人が受領拒否していると考えると「受領遅滞」ということになって、相手方(大学)は債務不履行責任を免れることになります。つまりこの場合、悪いのは学生の側であって、大学側には一切非がないことになってしまう訳です。
従って、裁判所も、以前は、学生側がいったん納入した授業料を返還してほしいという請求を認めてきませんでした。

ところが、2001年に、消費者契約法が施行されて、事態は大きく変わりました。
2006年11月27日、最高裁の画期的な判断が出ました。納入した学費は返還しないとの規定があったとしても、実際の損害額を超える部分は無効であり、大学は入学辞退した学生の授業料相当分を全額返還すべきだとの判決を言い渡したのです。

これ以降、入学辞退した場合、受講しなかった授業料については返還するという流れが確立しました。
企業や学校に比べて、一般の消費者や学生は圧倒的に非力です。消費者の保護を重んじる時代の流れによって、国民生活センターや消費者庁など消費者をサポートする公的機関が生まれ、法律面でも手厚い保護が図られるようになった訳です。

でも、いくら法律で保護されているからといって、安心してはなりせん。その法律を実際に活用する方法を知らなければ、せっかくの消費者保護の法律もまさに絵に描いた餅。
では、実際に納入してしまった学費を、一体どうしたら返金してもらえるのか。「街角の法律活用術」では、これから機会があるごとに実例をあげながらお話ししていこうと思います。 〆

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