今回は、「紙の月」を取り上げます。この映画は2014年制作とこのコラムとしては、ずいぶん新しいものになります。先ずはストーリーから。

とある銀行の支店に勤務する梨花(宮沢りえ)は、サラリーマンの夫である正文(田辺誠一)と2人で暮らす平凡な主婦。梨花の同僚には、若くて調子のよい相川(大島優子)、支店勤務25年のお局さんで何かにつけうるさい隅(小林聡美)、無能な支店次長の井上(近藤芳正)等がいる。正文は仕事が多忙で、梨花との家庭内の会話は途絶えがちであった。そんな中、梨花は銀行の顧客で気難しい老人の平林(石橋蓮司)宅を訪問した後、お茶を入れようとした台所で孫の光太(池松壮亮)と出会う。
その場は簡単な挨拶を変わしただけであったが、数日後、偶然に地下鉄で光太と再会。惹かれあった二人は、それを機にホテルで逢瀬を重ねる様になる。また、クレジットカードを持たない梨花は高額の化粧品を購入するも手持ちの現金が不足したため、顧客から集金した現金を流用して支払うが、翌日に現金をおろして、集金した金額の帳尻を合わせる。

ある日、梨花は光太から150万円の借金があることを伝えられる。その数日後、平林の自宅で2年満期定期預金の入金用として200万円の現金を預かった梨花は、偽の預金証書を作成して200万円を銀行に入金せず、光太に借金の返済と今後の学資用として渡す。但し、平林の定期預金の満期である2年以内に返済するとの条件付きであった。即ち、梨花はこの時点では、銀行から着服した金を返済するつもりであった。
そうこうするうちに、正文に上海駐在の辞令がでるが、光太との関係があるため梨花は同行を断る。
自由な時間が増えた梨花は光太の気を引くために、高級ホテルのスートルームでの宿泊、宝飾品の購入、光太の勉強用として海岸沿いのマンションを賃貸する等、贅沢の限りを尽くす。その資金は、顧客で若干認知症の名護や裕福な老夫婦である小山内等から預かった現金を着服したものであった。
かねてより隅の小うるさい態度を快く思っていなかった次長の井上は、隅を本店の閑職に異動させようと画策する。一方、梨花は相川から、自身が井上と不倫関係にあること及び井上が毎年決算期が近づくと架空の伝票処理を行い、営業成績を水増ししていることを告げられる。
間もなく梨花は、着服した金額が多額になり、その穴埋めの為に新たな着服を行わざるを得なくなる事態に追い込まれる。現金を集めるため、自宅にプリンターを購入して、偽の投資商品(高利の定期預金など)のパンフレットを作成し、顧客に配布する様になる。そんなある日、マンションを訪れた梨花は、光太が若い女性を連れ込んでいる場面に遭遇し、光太との別れを決意する。
隅は、梨花の行動を疑問に思い梨花が担当する取引の証憑を調べ、平林の200万円の定期預金について重要な書類の不備を発見し、井上に報告する。井上から事実報告を求められた梨花は、事実を認めたうえで、井上の不倫と架空伝票処理を公にすることをほのめかし、その場を逃れるが、隅が小山内等顧客の保有する(銀行発行の)預り金を調査して、その預かり証が偽造であることが判明する。
結果として、梨花の着服が数千万円に上ることが判明し、井上も事を公にせざるを得なくなる。
梨花は支店の別室で井上と隅の尋問を受ける。井上が支店長に呼ばれて席を外した際の二人の会話において、隅は「今まで徹夜をすること以外にやりたいことはなかった」、一方梨花は「年下の男性との関係も、銀行の金も虚構の中で自分のやりたいことをやった」的な会話をする。隅にとっては、裁く側の隅よりも裁かれる梨花の方が勝者と言う意味だったのか? 梨花は「行くべきところに行く」と言いながら、警察には行かずに2階の部屋のガラス窓を壊して逃亡する。

このストーリーの合間に、ミッションスクールの学生時代の梨花が登場する。このスクールでは東南アジアで水害にあった子供たちに寄付を募り、援助を受けた子供達から学生銘々にお礼の手紙と写真が届いた。最初は、寄付に参加する学生が多かったが徐々に減っていった。そこで、梨花は父親の財布から5万円を盗み寄付を行うが、不正な金を寄付しようとしたことでシスターから叱責される。梨花は、施しを受けるよりも施しする方が尊いとのシスターの教えを実行したまでだと反論するが受け入れられない。
最後に、梨花は東南アジア(多分、タイ)に逃亡する。そこで、寄付をしてお礼の手紙を出したと思われる青年と遭遇する。梨花は青年の屋台から零れ落ちた売り物の果物を金を払わず食べてしまう。

この映画は角田光代の小説に基づくものですが、「紙の月」の意図するところ(=実体のない虚しいものを意味すると思われる)よりも、横領の手口や銀行内の人間関係に焦点があてられメッセージ性は少ない様に思われます。ハイライトである隅と梨花のやり取りの場面も今一つ迫力に欠ける様です。但し、痴呆症の名護が騙されて購入したペンダントについて、梨花が偽物だと指摘すると名護は「偽物でも綺麗だからそれでいい」と反論するなど、実態と虚構に対する価値観について、製作者の意図が垣間見える場面ももありますが‥‥。
更に、エンディングが唐突で、この後、梨花の逃亡生活がいつまで続くかは映画を観たものの想像に委ねられることとなります。

とまぁ、かなり、欲求不満が残る映画なのですが、ここではやはり、不正行為について触れざるを得ません。奥村彰子による滋賀銀行山科支店の横領事件が1973年、伊藤素子の三和銀行茨木支店の事件が1981年ですが、以降も企業従業員の横領事件は後を絶ちません。
最近では、住友重機労組の積立年金からの6.4億円(2020年1月発覚)の横領事件、第一生命の19.5億円の詐取事件(2021年2月)(第一生命では、これ以外に3人の職員による1.2億円の詐取が発覚)があります。また、青森県住宅供給公社の男性経理担当者が14.6億円をチリ人の妻に貢いだアニータ事件(2001年)も有名ですね。
さて、住友重機事件ですが、労働組合はかつての様に労働運動に費消する経費が減少していたこともあって、かなりの金額の「眠ったお金」があったものと思われます。犯人の田村純子は長年にわたり組合に勤務していた様ですが、組合幹部は本社からの出向で管理の状況を十分把握しないまま頻繁に交代していた様で、その管理体制の不備を付いての横領だったと思われます。横領した金は競争用馬匹とポルシェなどに使っていた様です。
更に驚かされるのは第一生命事件です。容疑者と目される女性はなんと89歳で同社唯一の特別職と言うカリスマセールスレディでした。私は一度、第一生命の社員の紹介でカリスマセールスレディの講演を聞きに行ったことがありますが、その時の講演者がこの犯人だったかどうか不明です。但し、その講演者のプロフィールは、「年間数億円の契約を取ってくる。」「個人の報酬は、第一生命の役員よりも多く、年齢的にも役員は頭があがらない。」と言ったもので、まさにカリスマセールスレディでした。こちらの手口は、本人の名声と信用を悪用して、信用した一般顧客から数千万円単位の金を預かりいつまでたっても返済しないというものであった様です。尤も89歳という年齢もあって実際にだまし取ったお金を何に使ったのか、そもそも具体的な使途があったのかは、はっきりしません。
米国の組織犯罪研究者W・スティーブ・アルブレヒトが体系化した「不正のトライアングル理論」によると、不正行為は①「機会」②「動機 (ノルマ達成のプレッシャー/個人に帰属する利益)」③「正当化」(自身の立場・実績からこの程度のことは許される)の不正リスクの3要素が揃ったときに発生すると考えられています。
確かに夫々のケースにおいて②「動機」、③「正当化」もそれなりにあるかと思われますが、やはり一番強いのは①「機会」でしょう。住友重機の場合は、幹部の勤務期間が短く業務に精通する前に交代すること(その為、ベテランの彼女に任せきりであった)だったと思われます。また、第一生命の場合は、カリスマで役員も一目置いているため、誰も彼女の行動を監視できない環境にあったのでしょう。
仮に②「動機」がなくとも(第一生命の場合は、相当な報酬を貰っていたと思われるので)、①「機会」さえあれば、人間は何でもやってしまう存在なのかもしれません。
映画では、横領の発覚を怖れる梨花が、顧客への残高証明を支店からの郵送ではなくて、営業担当者が持参した方が喜ばれると進言し、無能上司である井上に「素晴らしい提案」と評価されますが、確認の行為は第3者の手で行われるから意味があるのであって、営業担当に残高確認書を手渡せば、不正がある場合(顧客の認識と残高確認の金額に齟齬があるため)顧客が見ることなく破棄されてしまいます。この様に、営業行為と確認行為を同一人物に委ねることは極力避けねばなりません。特に、オンラインの支払い行為は支払い指示の入力者と承認者が同一だと不正送金の可能性が高まり、また、誤送金にも繋がります。
では、社長に権限が集中している小規模企業の場合は、どうするのが良いでしょうか? 業務に追われている社員の負荷を増やすわけには行きませんので、配偶者か家族の方に依頼するのが良いかと思います。また、それなりに人材に余裕のある中堅企業においては、担当者を定期的に交代させることが、不正の早期発見に繋がるものと思われます。
まぁ、それ以前に、21世紀に近くなって(映画の設定は1994年)、未だに数百万円もの現金を受渡していることに驚きました。現金の受渡しは不正の温床になるだけでなく、盗難や置忘れのリスクがあるため、極力改めるべきだと思います(私が入社した70年代には取引先から受け取った何百万円もの手形を背広のポケットに入れたまま、飲みに行くという行為も良くみられましたが)。

なお、このコラムを締めくくるGSネタをこの映画から探すのは不可能と思っていましたが、なんと最後にVelvet Underground※と言う米国のバンドが1967年に発表したFemme Fataleと言う曲が流れていました。なぜこの曲をエンディングテーマに選んだのか判りませんが、日本のGSでいえば、ジャックス※※に近いノリです。この曲を含むLPのジャケットはアンディウォホール作のバナナの絵でこちらの方が有名かも知れません。ということで辛うじてGSに繋がったところで、本編はおしまいにします。

※日本での認知度は低いですがローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大なアーティストに100組の第19位にランクされるほどの伝説的なグループです。

※※ ジャックスには特異な楽風(非常に暗い)の作品が多くこれをGSの範疇に含めるか否かについては業界では大きな論争を呼んでいますが、60年代後半のエレキギターを持ったバンドであり、ここではGSに含んでおります。特にヒット曲はありませんが、「からっぽの世界」を加藤和彦がフォークルのハレンチリサイタルで、また「時計を止めて」をカルメンマキがカバーしています。また、メンバーの早川義夫のペンによる「サルビアの花」は「もとまろ」や岩淵リリの歌で1972年に大ヒットし、その後も山本リンダ、天地真理、あがた森魚、岩崎宏美などがカバーしました。こちらも日本では伝説的なバンドと言えましょう。

 (2021年4月)