今回は、安城家の舞踏会です。公開が1947年とずいぶん古い映画ですが、現在に相通ずるところがあり、取り上げることとしました。
先ずは、あらすじから・・・・。
安城家は侯爵であるが、農地改革や財産税などの戦後の諸政策によって財産を没収され、唯一残った邸宅は、新川と言う成り上がりの貸金屋からの借金の抵当に入っており、弁済不能のため、手離さざるを得ない状態であった。
安城家は当主の忠彦(滝沢修)、長男の正彦(森雅之)、長女で出戻りの昭子、次女敦子(原節子)の4人家族。安城家の元運転手の遠山は、今や運送会社の社長であるが、敦子の依頼により、借金の肩代わりを申し出る。また、遠山は昭子を慕っているのだが、気位の高い彼女は、遠山を毛嫌いしている。一方、貸金新川の娘曜子と正彦は婚約関係にある。
忠彦は、舞踏会を開催し、来賓である新川に借金の棒引きを懇願するが、新川に拒絶され、加えて正彦の婚約破棄を宣告させる。頭に来た忠彦は、新川に銃を向けるが、敦子に制止される。また、新川を憎む正彦は、彼を慕う曜子を弄び、洋服をズタズタにされた曜子は、周りのさらし者に・・・。
遠山は、場違いな場所に来てしまった自分を卑下して酔っ払うが、最後に現金を持ち込み、これを敦子が、新川に突きつける。昭子は今まで毛嫌いしていた遠山を追いかけて屋敷の外に出ていってしまう。
忠彦は、敦子の計らいで、この舞踏会で長年匿っていた妾との結婚を披露するが、気位の高い姉の顰蹙を買う。夜が更けて客は帰り、大ホールに一人残った忠彦はピストルで自殺を図るが敦子に制止される。希望を持って生きようと言う敦子の説得を受け入れ、忠彦と敦子は、二人だけでワルツを踊る。
これを見ると、関西家電メーカーの凋落ぶりと重なるところがある様な気がしてなりません。安城家の大ホールには、軍人の肖像画があり忠彦の父のものだと思われます。忠彦が1947年当時50歳であるとして、1897年生。皇族華族取扱制度制定が1871年ですから祖父の代に爵位を与えられたと推察されます。従い、忠彦は三代目で、軍人の家系であったが、忠彦自身は絵の勉強のためパリに留学経験があるものの、こちらは趣味の領域であって、およそ生産活動に従事したことがない。正彦も同様にピアノはうまいが、普段はプラプラしていると言う設定です。
本映画では安城家の没落の要因は、戦後の政治改革が原因とされていますが、親子にわたって生産活動に従事していない一族が、制度改革の有無を問わず没落するのは当然と言えるでしょう。まさに“三代目が身上を潰す”を地で行った様な事例と言えます。
そこで、関西家電メーカーですが、電力・鉄道・通信等の国家産業政策の需要に支えられた関東系重電系メーカーと違って、何のバックボーンもない中、創業者達のイノベーションと血の滲むような努力によって、日本を代表する世界的な大企業にまで成長しました。
ところが、現在は巨額の赤字に苦しんでいます。
奇しくも松下電器(1918年創業)、シャープ(1912年創業)共に1935年設立で社歴は80年弱。また、創業者の生誕は、松下幸之助1894、早川徳次1893で現在の経営陣にとって丁度お爺ちゃん世代となります。創業者世代の苦労を肌で感じることの出来た息子世代と異なり、現経営陣が入社した時点では各社とも既に押しも押されぬ大企業であった訳です。
両社の凋落の原因を過去の成功体験から来る“驕り”であると分析する評論家が少なからずいます。事実関係は判りませんが、“自社のブランドを付した高品質の製品を作れば売れて当然”と言った考えや、世の中が水平分業の潮流の中あくまで垂直統合に拘る姿勢などを指している様です。
歴史的に見ると、
・創業者世代:
営業基盤の無い中で、市場にニーズを徹底的に調べ上げ、これを充足する製品を製造販売していた(所謂、 Market in)
・第二世代:
創業者世代が築いた圧倒的なブランド力によって、自社が企画・製造した製品が新たな市場ニーズを創造していた時代(所謂、Product out)
・第三世代:
市場ニーズの変化(格好良いモノ⇒楽しいコト、 機器⇒コンテンツ)があまりに急激で、圧倒的なブランド力を以ってしても、単なるモノ・機器の販売が難しくなった時代
と言うのが現在の姿ではないかと思います。
私自身関西出身ですし、特にシャープさんは仕事でもお世話になったことのある大好きな企業なのですが、嘗て企業力で圧倒的な差をつけていた鴻海やサムスン電子から支援を取り付けるため右往左往している姿は、忠彦が新川に借金返済猶予を依頼したり、遠山に借金の肩代わりしてもらう姿とダブってしまいます。更に、残念なことは、両社が将来に向けて、どんな会社になろうとしているのか明確なメッセージが伝わって来ないように思われることです。
明日への希望を繋ぐワルツを踊る忠彦と敦子ですが、若くて美人の敦子は将来に色んな夢を描けても、忠彦は具体的にどんな夢を描こうとしたのでしょうか?それが何なのか判らないまま映画は終わりますが、嘗て我々世代に夢を与えてくれた両社には、今一度、将来に向けての夢を具体的に発信して貰いたいものです。
いささか強引ではありますが、安城家が爵位を得たと思われる明治維新から没落の終戦まで75年。両社が勃興した終戦直後から現在まで75年で、丁度大きな転換期に差し掛かっているものと思われます。ここで踏ん張って何とかもう一度日本経済の牽引車になって貰いたいと願ってやみません。
さて、映画の話に戻りますが、忠彦を演じる滝沢修は1906年生まれで、当時41歳ですから、若い時から随分と老けていたことになります。この方は、戦前治安維持法で逮捕されたことのあるバリバリの左翼だった様ですが、赤穂浪士(1962: NHK)の吉良、白い巨塔(1966)の船尾東大教授、戦争と人間(1971)の伍代産業会長と、体制派の役回りばかりの印象を受けます。尚、息子正彦を演じる森雅之が1911年生まれで、原節子が1920年生まれですので、若いお父さんだった訳です。尤も東京物語(1953年)の笠智衆が(1904年生)が49歳ですっかりお爺さんでしたから当時は、これで違和感がなかったのかも知れませんが・・・。
尚、敦子が、遠山が用立てた金を新川に押し付けて、彼を安城家から追い出すシーンがあります。一応、溜飲を下げるシーンなのですが(但し、新川は『貸付の期限が来たから返済せよ』と真っ当なことを言っているだけで『僕に免じて猶予してくれ』と言っている忠彦の方が理不尽)、新川は、お金受け取ったらちゃんと数えて金額を確認すること、敦子は、金銭消費貸借契約の解除と抵当権抹消の手続きとを同時に行う必要があります。また、遠山から金を借りたのか、邸宅を売却したのか判りませんが、今度は遠山との間の契約をしっかり作成しておかねばなりません。確かに、お金を投げつけて、“とっとと消え失せろっ”と言うのは、格好良いですが、金銭授受の際は、くれぐれも手続きを怠り無い様にしたいものです。(13年3月)
(画像は松竹映画より引用)
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