日本の0.jpg久しぶりの映画から学ぶ経営ですが、今回は、東宝映画きっての名作である岡本喜八監督の“日本のいちばん長い日(昭和42年)”に挑戦します。

言うまでもなく、本作品は昭和20年8月14日正午から、玉音放送が開始される15日正午までの24時間をドキュメンタリー風に追いかけたもので、米映画のThe Longest Dayがノルマンジー上陸作戦を描いたイケイケ風戦争映画であるのに対して、The Japanese Longest Dayは、玉音放送前の24時間の出来事を追いかけると言う、とても重苦しいものになっています。さて、長いストーリーを手短に纏めます。

・連合軍からのポツダム宣言受諾の是非について、最高戦争指導会議でも政府・軍の首脳は結論を出すこと が出来ず、天皇の決裁を仰ぐ。天皇の決断はポツダム宣言受諾であり、終戦の詔書を至急作成する様に指 示が下される。

・総理大臣鈴木貫太郎(笠智衆)を筆頭に内閣閣議にて詔の文案について協議が始まるが、 “戦線否にし て・・” を主張し敗北を認めようとする海軍大臣米内光政(山村聡)と、名誉日本の2a.jpgある撤収のために“戦線必ずし も好転せず・・”を主張する陸軍大臣阿南惟幾(三船敏郎)が対立して、議論が紛糾して予定通りに進まな い。 この詔書について玉音の録音を急ぐ宮内庁(加藤総務部長:神山“ザ・ガードマン”繁)、連合軍にポツダム宣言受諾を打電する立場の外務省(松本次官:戸浦六宏)のイライラは募り、これを纏める内閣書記官   迫水久常日本の3.jpg(加藤 ”打本会会長” 武)に督促するもラチがあかない。

・陸軍省の椎崎中佐(中丸“Gメン75” 忠雄)、畑中少佐(黒沢年男)、近衛師団古賀少佐(佐藤“ヤマちゃん”  允)石原少佐 (久保明:二人の銀座の山内賢の実兄、イケメンです)を中心とする若手将校達は、本土決戦も  せず戦力を温存したままで、国体の護日本の6.jpg持について確約のないポツダム宣言受諾を阻止し、徹底抗戦のため クーデターを画策する。

 

・その後、海軍省の動揺を抑えきれないと判断した米内が“戦線必ずしも好転せず・・”に同意したことにより、 詔書が漸く纏まり天皇が裁可。外務省がポツダム宣言受諾を打電し、玉音の録音を実施し(放送協会矢部 局長:加藤大介他)、録音後の玉音盤の保管を侍従(小林桂樹)に委ねる。

・畑中と航空隊の黒田大尉(中谷“風車の弥七”一郎)らは、森近衛師団長(島田正吾:しゃべり方がチャンバラ 映画の親分風でかっこ良いです)に対して決起を要請するも、拒絶に会ったため森を殺害し、近衛師団長に よる皇居占拠のニセ命令を交付。この命令に従い、芳賀連隊長(藤田“地球防衛軍長官”進)は皇居(の一 部)を占拠。古賀少佐等は、翌日の放送を中止させるべく、玉音盤の捜索を始める。

・これに平行して、3つの現場部隊の動きが・・・

①    海軍厚木基地の小薗航空隊長(田崎潤)は、軍事行動中止の命令を全く無視し、房総沖に接近する米 海軍機動部隊攻撃作戦計画策定を進める。

②    日本の4a.jpg埼玉県児玉の野中航空部隊長(伊藤雄之助)は、玉音の録音がなされているさ中、特攻隊の出撃を行う。

③    横浜警備隊の佐々木大尉(天本英世)は、終戦を遂行する鈴木総理大臣を襲撃するべく学生を集めてトラックに乗り込み東京に向かい、鈴木邸に火を放つ。

・古賀以下は、玉音盤を捜索するも発見出来ず、皇居の占拠はニセ命令であることが発覚。東部軍が、この    鎮圧に向かう。万事休した畑中は、放送局に乗り込み、アナウンサー館野守男(加山雄三)に銃を突きつけ  若手将校の主張を放送させろと迫るが、館野は許可のない放送は出来ないと拒絶する。

・未明になって、一死以て大罪を謝し奉るとの遺書を残して、阿南は切腹し、15日の夜が明ける。

・鈴木貫太郎内閣は総辞職し、正午に玉音放送が実施されて第二次世界大戦は形の上では終息、畑中等は  自決。野中航空部隊長は、一機も帰還しない飛行場に立ちつくす。

と、やはり長くなってしまいました。

この映画から学ぶことは、“統制とは何ぞや”と言うことに尽きると思います。

ここで日本陸軍論を語るつもりは無く、あくまで本映画で表現されている阿南や畑中達についてですが・・・。

本映画では、大元帥たる天皇陛下の命令は絶対であるにも関わらず、天皇は弱腰の取巻きに騙されているとの理屈によって決起を企てる陸軍省の若手将校、海軍大臣の意向などどこ吹く風で徹底抗戦の厚木航空基地、鈴木貫太郎以下を奸計として自宅襲撃に向かう佐々木大尉の狂気迫る行動(これは、一見の価値あり)、と夫々がそれなりに日本のためと考えながら、取り返しの付かない行動に走って行く様が描かれています。

これに対して、陸軍大臣である阿南は軍規に則った名誉ある降伏を各部隊に徹底するために、詔書の文言についての強硬な主張や、鈴木首相に対して天皇聖断の猶予・玉音放送日の一日遅延を求めたりします(一刻も早く戦争終結を望む鈴木は猶予を悉く拒否)。

本映画では、若手将校のクーデター計画を巡る一連の動きが主体になっている様に見えますが、その一方で、自らの世代が「生きて虜囚の辱めを受けず」として、不名誉な敗戦や敵の手による武装解除を拒絶する教育を施してきた若手将校に対し、敗戦の現実を受け入れさせ、陸軍の統制のために自身の命をかける阿南の葛藤がテーマになっていると考えられます。

阿南は陸軍省幹部を前に“一人の無統制が国を破る因をなす”とか“一兵に至るまで断じて軽挙妄動することなく”と訓示しており、統制が乱れた際の問題の大きさについて十分な認識を持っていたようで日本の5.jpgす。

尚、佐々木大尉の部下の学徒兵が、ポケットに岩波文庫(確か「出家とその弟子」)を偲ばせている場面、児玉基地の少年飛行兵が出撃前に無邪気に牡丹餅をほうばる場面等、岡本監督の思いが垣間見れるシーンが、あちらこちらにあります。

さて、これを企業に置き換えるとどうなるでしょうか?

ある事業に対して、社長が中止の決裁を下す。この事業推進者である事業部長は、部下に対して不退転の決意で取り組むように指導してきた。事業部長は、社長決裁通り事業からの撤収を図ろうとするが、撤退などあり得ないとの指導を受けてきた現場担当者達は、この決裁に戸惑い、これを無視して、あらゆる手を使って事業からの撤収を阻止しようとする。となります。

実際には、社長命令を無視すると言う極端な例はあまりないでしょうが、事業部長や現場担当者が、もはや事業の継続が困難な状況に陥っていると判っていながら、事業開始時の考えを切り替えることが出来ず、事業成績の数字の粉飾、データの捏造、書類の改竄等によって、何とか事業の継続を図ろうとして結果大きな問題になった事例は相当数存在すると思われます。自分達で開始した事業に対し、強い思い入れがあり、また、ここで撤収すれば今迄の投資が無駄になってしまうことより、途中で事業の継続自体が目的化してしまい、その目的のためには多少の規則違反もやむを得ないとの考え方に陥ってしまった事例です。

これを防ぐには、統制環境を充実させる、即ち、現場担当者が自身の思い入れとは別に、現実を見据えて的確な判断と報告を行うこと、自らの目的遂行のために手段を選ばないと言う考えを持たないことの徹底が必要となります。

特に、地方において支店長に任せきりの状態の場合、本社の意向が無視されている可能性が高くなるので要注意です(映画の厚木基地や横浜警備隊の事例)。

中小企業において、社員全員が社業の発展を願っていたとしても、その実現の為の行動は個々の社員によってマチマチです。一人の社員の行動が、結果として、会社を危機に陥れることの無いように、会社ルールの周知徹底とその遵守を大前提とする企業風土の醸成が求められます。この様な会社ルールの策定や、ルール遵守のための企業風土つくりのお手伝いも中小企業診断士の業務の一つにしていきたいと考えております。

最後にこの映画の注目点をいくつか・・

東宝系の主要な俳優が殆ど全て出演している映画ですが、こんな面白い組み合わせがあります:

・何度も話に出てきた厚木基地ですが、隊長は田崎潤、副隊長は平田昭彦。彼らは、南海の大決戦(1966) で平和な南の島で水爆を製造しようとする悪者部隊の隊長とその部下でゴジラに殲滅されてしまう二人です。平田は、原住民の娘である水野久美を襲う役回りで、片目の眼帯が良く似合います。また、横浜警備隊部隊長の天本英世は、この島に物資を運ぶ船の船長で、エビラの活動を封じる薬を撒いて港に出入りしていますが、主人公である宝田明に普通の粉にすり替えられ、エビラに沈没させられてしまいます。

・放送を強要する畑中(黒沢)と銃口を向けられながらこれを拒絶する館野アナウンサー(加山:日本の3a.jpgこの時代には珍しいスーツ・ネクタイ姿)の緊張感あふれるシーンは、阿南の切腹と同じくこの映画の大きな見所です。加山の方が若干先輩ではありますが、両者とも当時の東宝を代表する若手スターであり、ボンボンの加山とトラック運転手あがりの黒沢と言う異なるキャラクターも、この緊張感を盛り上げています。

加えて、黒沢は次作“めぐり合い”(1968)で酒井和歌子とのラブシーン(浜辺で水着姿の黒沢の胸毛を見て   酒井が興奮する)を演じ、一方、加山の若大将シリーズでは、若干トウがたった澄子(星由里子)に代わって、フレッシュマン若大将(1969)より酒井が演ずる節子がヒロインとして登場しており、両者の酒井を巡る     関係も興味深いものがあります。酒井のキャラはどちらかと言えば下町娘的で黒沢とのコンビの方がしっくり来るものがあり、酒井を巡る争いは黒沢の方に軍配があがった様です。

最後に、録音終了後の玉音盤について、加藤大介(放送協会)が「何かテキトーな入れ物を・・」と要求し、宮内省の課長(浜村純:“ありがとう浜村淳”とば別人なので要注意)が「こんなもので良ければ」とさも偶然そうにズタ袋を差出し、加藤の部下が、それに玉音盤を入れるシーンがありますが、「畏れ多くも玉音盤を何と心得おるっ!」と突込みを入れたくなります。

更に、このズタ袋の保管責任は放送局なのか宮内省なのかで、両者間に悶着があり、最終的に徳川侍従  (小林桂樹)が預かることになります。

そもそも、放送協会は何の仕事を請け負ったのか(「録音+放送」なのか、これに加えて「保管」も含まれているのかどうか? 不明なら依頼者に確認する他ありません)を明確にしないまま、仕事を請負い、更に、録音の成果物である玉音盤を名前も確認せずに侍従に引渡して、受取証さえ取得しておらず(命令なので致し方ない点を差し引いても)仕事の基本動作が全くなっていません。放送前に玉音盤が無くなっていたら、どう責任を取るつもりだったのでしょうか?

請け負った仕事の内容の確認、及び役務の完了とリスクの移転を証する成果物引渡の確認書の受領は必須で、そこまでやって初めて仕事が終わったことになります(これが無いと、売上は計上できないし、料金の請求も出来ませんよね)。
ここでは、加藤大介に思いっきり“喝っ!”を入れたいと思います。(13年2月)

(画像は東宝映画より引用)