「ほんとに、もうどうしていいか分からなくて」
その青年は、困り切った顔で深いため息をついた。
「父の恩は、身にしみて分かっています。でも、あの時は、本当にもうどうしようもなくて。ただ、誠心誠意説明して、分かってくれたとばかり思ってました。けど、そうじゃなかったんですね。私が甘かったんです」
青年はバッグから封筒を取り出した。
「おととい、こんな通知が郵送されてきました」
内容証明郵便だった。対立する相手に要求する具体的な内容、そしてその通知を相手が実際に受け取った日時を公的に証明する、一番確実で手っ取り早い方法だ。
青年は封筒の中身を取り出して文面を見せてくれた。
『当方が貴殿に貸付けた以下の金員の返済を求める。
1,平成22年4月から平成28年8月の期間、面会の上手渡した月当たり12万円を積算した合計768万円(12万円×64カ月)。当方がこの金員を貴殿の母上に贈与した事実はなく、従って、これは当然に貸付金である。
2,平成28年6月26日(日)に、恵比寿のホテルウィンダムでとり行った貴殿の結婚式費用として当方が支払った480万円。そもそも、貴殿から結婚式への出席を拒絶された当方が結婚費用を負担する理由はまったくない。従って、これは贈与ではなく当然に貸付金である。
以上の合計1248万円の返済期限は、本書面到達の翌月(11月)末日とする。
もし万一、期限までに返済いただけない場合は、法的手段をとることをあらかじめ通告する。
平成28年10月1日』
「これは、お父様からの請求なんですね」
「はい」
「それにしても大金ですね。この内容に心当たりはおありなんですか?」
「お金を父から受け取ったのは事実です」
青年は木下和樹28歳、柔和な顔立ちとやわらかな物ごしは誰にでも好感を持たれるだろう。内容証明で返済を請求してきたのは実の父である木下幸次58歳。
青年の父と母は、平成22年3月に協議離婚している。当時、和樹さんは大学に入学が決まったばかりの18歳だった。
離婚原因は、家の商売がうまくいかなくなるのに合わせて父と母の関係が急激悪化したこと。父は精神的に不安定になって暴言や問題行動を繰り返し、それに耐えきれなくなった母は父を完全に拒絶した。中学から高校にかけて、和樹さんは、家庭内が見る見るうちにすさんでいったのを鮮明に覚えている。でも、彼がまだ幼かった頃、木下家は人もうらやむような裕福で仲むつまじい家庭だったという。
「父は、地元で長年営業してきた酒屋を継いで、私がまだ小学生に入る前、コンビニに衣替えしました。開業からしばらくはとても順調だったみたいで、子供心にも、わが家はかなり裕福な家庭だったと思います」
当時、その近辺ではまだ珍しかったコンビニは大人気となり、勢いをかって、父親は、自宅と同じ私鉄沿線の両隣の駅に同系列のコンビニを構えるほど手を広げたという。おかげで和樹さんの小学校時代、大型のベンツに毎年2度の豪華な海外旅行と、木下家はクラスでも群を抜くほどの羽振りのよさだった。
しかし、12・3年ほど前、突然木下家に試練が訪れる。自宅の近所に最大手チェーンのコンビニが開店。ライバル店の方が少し駅に近く少し広々としていてたため、駅からの人々の流れは完全にせき止められてしまい、見る見る売上げが落ちていったという。さらに、間もなく両隣の駅でも、支店よりほんの少し駅寄りに同じライバル系列の店が開店。まるでケンカを売るかのようなやり方は、過当競争の激しいコンビニ業界の代理戦争に巻き込まれたようだった。
父の幸次さんは、このコンビニ戦争に歯を食いしばって耐えた。なまじ当初の成功体験があったからか、いずれは売上げも回復するとやみくもに信じて赤字続きの店舗の営業を続けた。昼間は自宅の本店、夕方からは2つの支店を回って終夜営業。この頃から、家では毎日のように父と母との言い争い声が響くようになっていた。
「*ヶ丘と**台の店は閉めるべきじゃないの。どちらも、売上げが半分近くに落ち込んでるのよ」
「ばかなこと言うな。頑張ってせっかくここまでにしたんだぞ。意地でも閉店するわけにはいかない」
「あのね、あなたの意地なんてどうでもいいの。いくら頑張ったって、今さら持ち直す見込みなんかないじゃないの」
「今が正念場なんだ。本部の方からもテコ入れの話が来てるんだ」
「なぁに言ってるんだか。そんなこと、本気であてにしてるの? ご冗談でしょ。本部なんか、うちの売り上げが落ちてきたら、鼻もひっかけなくなったじゃないの。採算取れない店なんか、早く見切りつけたいのよ」
「おれがこれだけ必死になってるのに、よくもそんなことが言えるな。お前が少しでも手伝ってくれたら、収支がずいぶん改善するんだぞ」
・・・・あーあ、またやってら。
その頃は、まだ大した危機感もなかった和樹さんは、店の現況も両親のいさかいも突き放して見ていた。でも、今になって思う。あの時、母が言ってたように、2つの支店を閉じて本店だけに絞って全力投球していれば。そしたら、両親は別れずに何とかやっていけたかも知れないし、父親が息子に実もふたもない請求書を出すような事態にもならなかったかも知れない。自宅兼店舗で家賃の負担がなかった本店だけであれば、何とか黒字を確保していたのだから。
でも、ゆくゆくは沿線に10店舗を構えるのが究極の目標、と口ぐせのように言っていた父にとって、事業を縮小することは耐えきれないことだった。
そんなストレスに押しつぶされるようにして、父親は徐々にふさぎこむことが多くなった。明け方、支店回りを終えて帰ってきて、やけのように飲めないお酒を飲むようになり、朝、和樹さんが目を覚ました時には、台所で意味不明の言葉をぶつぶつとつぶやいていることもあった。
5年経ち6年経ちしても、商売は一向に回復することはなく、それどころか借金だけが雪だるま式に増えていった。その頃には、父と母はもう口論することもなくなり、父が帰宅すると同時に、家には暗くよどみ冷え冷えとした空気が流れるようになっていた。ベンツはプリウスに、そして軽自動車へと姿を変え、もちろん家族そろってどこかに出かけるようなことも一切なくなった。まあ、男子高校生にとって家族旅行なんか興味なかっただろうけど。
「あの頃は家にいること自体が苦痛だったんですけど、むしろ受験勉強に没頭することで暗い現実から目を閉ざすような有様でした。経済的にはかなりきつかったんですけど、父は借金してでも絶対大学だけは行かせるって言って。何とか都内にある国立大学に入ることができました。でも、ぼくが大学に入るのを待ってたみたいに、父と母は離婚したんです」
つづく (^.^)/~~~
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