このコーナーもすっかりご無沙汰してしまいました。
公私ともにあれこれと忙殺されていたのですが、少し時間の余裕が出来たので、久しぶりに新作?を・・・・・。
今回はユーミンの「スラバヤ通りの妹へ」を取り上げます。この曲は「水の中のアジアへ」と言うアルバムの一曲として1981年に発表されたものです。80年代の曲と言うのは、このコラムではかなり新しい方に入りますが、何と4曲しか入っていなくて、全ての曲がアジアをテーマにしたと言う不思議なアルバムです。
あまりメジャーな曲ではないので、ご存じない方も多いと思いますが・・・・。
この曲は、ジャカルタのスラバヤ通りを歩いている15歳のインドネシア人の少女との交流がテーマのほのぼのとした内容で、南国の風景の中のんびりと散歩している様子が、例のユーミン節にのって始まります。ところが、第二節でいきなりドキッとするフレーズが出てきます。「痩せた年寄りは責めるように私と日本に目をそむける~ ♪」と言うものです。81年のことですからこの年寄りは戦争を体験していると思いますが、日本に対して憎悪感を持っていたのでしょうか?
インドネシアは、昨今、アジアの中でもその人口(数だけでなく人口ボーナス※1に着目)とジャカルタの一人当たりのGDPは1万ドル近くまでに達しており、中間層の増加による消費市場としての潜在力から特に注目されている訳ですが、実際の対日感情はどうなのか、とても気になるところです。
一つの国の国民が、特定の外国にどの様な感情を持つかは、個人差もあるし、また、ここは好きだけどここは嫌いと言った面もあるので、一概に良し悪しを議論することにどれだけの意味があるか・・・との考えもあるでしょう?しかしながら、中小企業が海外で事業を行う場合の重要な成功のキーは、販売なら現地パートナー、製造等の事業展開なら現地人マネジャーやスタッフとの活用であり、その観点から、やはり日本に好意を持っている国を進出先として選択するのが望ましいと思われます。
今年7月の朝日新聞の記事で、米国の調査機関によると各国の日本への印象は、インドネシアで「良い79%」:「悪い12%」、マレーシアで「良い80%」:「悪い6%」となっていました。尤も対日感情が「良い4%」:「悪い90%」という国も近くにあるようですが・・・。
また、平成14年とかなり古いものですが、外務省がアセアン6ヶ国(フィリピン、シンガポール、マレーシア、インドネシア、タイ、ベトナム)で行った調査結果でのインドネシアの回答は;
・日本は「信頼できる/どちらかというと信頼できる」: 86%
・あなたの国と日本は「友好関係にある/どちらかというと友好関係にある」: 92%
・日本はその経済力に相応しい重要な国際的役割を応分に果たしている: 80%
・日本はアジアの一国として、アジアの発展のために積極的役割を
「果たしている/まあまあ果たしている」: 85%
(その他安全保障などの質問は割愛)
という結果です。他の5国も、総じて日本への評価は悪くないのですが、中でもインドネシアから高く評価されているのはちょっと意外でした。また、マレーシアからの評判も高いです(日本人側は、この両国よりもむしろタイやベトナムの方に親近感を抱いているのではないでしょうか?)。
こうなると今度は、日本のハラル対応状況が気になります。東京のハラル対応(というか実際はムスリムフレンドリー※2)レストランは、まだまだ少ないです。イスラム諸国の訪日客は、日本滞在中の食事として自国からインスタント食品を持参してホテルの部屋で食べているとの話もあり、オリンピックに向けてこの両国からのお客様を受け入れる体制は不十分と言わざるをえません。滝川クリステルさんのフランスも結構ですが、是非、イスラム諸国からのお客様にもしっかりオ・モ・テ・ナ・シッ をしてあげてくださいね。
ちなみに世界の仏語人口:2.2億人に対してイスラム人口は16億人です。
いずれにしても、インドネシアの対日感情は概ね良好で、ユーミンが出会った痩せたお婆さんは、少数派だったようで先ずは一安心です。※3
「スラバヤ通り~」が、「ひこうき雲」に次ぐリバイバルヒットになって、インドネシアへの注目度がもっとUPすることを期待します。
さて、インドネシアをテーマにした歌謡曲ですが、代表的なものを紹介したいと思います。
★ 「バタビヤの夜は更けて」(灰田勝彦:1942年)、
日本軍占領時代にジャカルタに駐屯していた航空兵が、故郷の母妹を思う歌。
★ 「ブンガワンソロ」(多数)
有名なボロブドールの近くを流れるソロ河の流れを歌ったオランダ植民地時代の曲で、インドネシア独立の願いが込められた曲だそうです。藤山一郎や松田トシ清々しく歌っています(藤山は日本軍の慰問団の一員としてジャワ島を訪問している)。また、小林旭も「アキラのブンガワンソロ」を1960年に発表していますが、こちらは、“娘さんステキ、口づけしましょ。アラいけません。”と軽いノリのアキラ節で、同じ曲とは思えません。
★ 「かわいいあの娘」(梶光夫:1965年)
元はインドネシア民謡ですが、合ハイ※4と言うか歌声喫茶的なノリで、今や日本を代表するジュエリーアーチストである梶光夫センセイ最大のヒット曲の一つです。
女性をナンパする曲なのですが、1番の歌詞は「こんにちは娘さんお話しましょう。恋人はいないの寂しくないの~♪」と余計なお世話というか、今ならセクハラまがいの歌詞がとても印象的です。また、「スラバヤ通りの~」にも使われているRasa Rasa Sayang Geh~♪の先輩でもあります。
尚、同年に東山明美が「アイヨママ」と言うインドネシア民謡の日本語カバーを出しており、二番煎じを狙ったものと思われますが、殆どヒットせず、インドネシアブームにまでは至りませんでした。
時期を同じくして、9月30日クーデータ未遂事件でスカルノの影響力が低下、それまでの民族主義・共産主義から、スハルトによる親米路線に方向転換する訳ですが、インドネシアの曲が相次いでカバーされたのは、その歓迎の意味があったのでしょうか?
★ 「真珠の涙」(ザスパイダース 1968年)
「スパイダースのバリ島珍道中」のテーマソング。かまやつひろしにしては、実験的な要素が少なく、歌謡調の曲。センチメンタルなノリで個人的には好きな曲です。
スパーダースは1966~68年に7本もの主演映画がありますが、これは6番目の作品で、もはやマンネリ化しており、GS衰退の予兆を感じることができます。
※1 働かない子どもや高齢者よりも、働く世代の割合が増えていくことで、福祉・教育に必要な額を上回る 生産が可能となり、その部分が設備投資などに回って経済成長が推進されるというもの。「年寄りの長生は経済成長の邪魔なのかっ!」と突っ込みを入れたくなる考え方でもある
なお、インドネシアの15~64歳の労働人口は全体の66%。
※2 “ハラールレストラン認証”は、店自体がアルコール取扱い不可・オーナーやシェフがイスラム教徒であ る ことなど、ハードルが高く、東京にはほとんど存在し得ないのではないか?一方、条件の一部を満たす店が、“ムスレムフレンドリー”と言われていおり、都内に20軒ほどあるらしい。この間池袋のパルミラと言う店に行ったが、ワインやベリーダンスありで、特に制約を感じることなく、とても盛り上がりました。
※3 ユーミンの曲には、“緑の街に舞い降りて”のMoriokaの様に(実際の空港は盛岡ではなく花巻)アバウトなところがあるので、特に気にすることもないのでしょうが・・。それにしても東北新幹線が無かった時代に、上野発の夜行列車~♪ではなく、飛行機を利用するところが、彼女らしいですね。
※4 合同ハイキングの略。昭和40年代には、主に大学生の男女の出会いの場として大いに流行った(フォークギターは必須アイテム)が、主流は合コンに移り、今や死語に。ちなみに筆者の合ハイ初体験は、京都大原三千院~♪。相手はK女子大でした。
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