今回は、梶芽衣子の「修羅雪姫」を取り上げます。1973年に封切りされた映画で、初めて見たのは、当時、私が住んでいた京都の下宿の近くに京一会館と言う邦画専門の映画館だったと思います。
今まで、八甲田山とか白い巨塔とか所謂大作を取り上げてきたので、興味を持って頂いた方も多少はいたかも知れませんが、今回は多少マニアックな作品(私の中では、かなりの名作なんですが)なので、果たしてどれだけの方に読んでいただけるやら‥‥。
さて、例によってあらすじから‥‥。
時は明治30年頃の夜、雪道を人力車で急ぐ柴山源蔵(小松方正)と取り巻きの前に、白い着物を纏い紫紺の蛇の目傘を持った若い女性が現れる。 無言のまま、蛇の目傘に仕込んだ短刀を抜いて、肢体が宙を舞ったかと思うとたちまち数人をなぎ倒し、源蔵は息絶える。
女性の名前は、鹿島雪と言い、人を殺めることを生業としていた。この殺人の依頼は、全国の乞食組織を束ねる松右衛門の依頼によるもので、その対価は、竹村伴蔵(仲谷一郎)、塚本儀四郎(岡田英次)、北浜おこの(中原早苗)の所在に関する情報提供であった。
時は遡って、明治6年、徴兵令が発布された年である。竹村以下3人プラス正影徳市の計4人は、徴兵令を恐れる村人から徴兵を逃れることが出来るようにしてやるとの名目で金をだまし取っていた。その村に、新任教師ととして鹿島剛が妻の小夜と幼い息子を伴い着任する。
竹村他は、鹿島一家が徴兵制を履行するため来村した官吏であるとして、剛と息子を殺害、小夜に暴行を加える。小夜は逆に正影徳市を殺害するが、その罪で刑務所に。
竹村以下に対する復讐心に燃える小夜は、刑務所内で看守などと関係を持ち、生まれた子供に復讐を託そうとする。漸く誕生した女児を雪と名付け小夜は死亡する。
女児は道海和尚(西村晃)の元に預けられ復讐の為、剣の修行に励む。
ここで時代は、明治30年に戻り、雪に対して松右衛門より竹村伴蔵の所在についての情報が届く。竹村は、地元のやくざになっていたが、病弱の為活動できず、娘の小笛(中田喜子)と2人の貧乏暮らしで、小笛の作る籠の販売収入で生活していた(と竹村は思い込んでいた)。ところが、小笛は毎日、作った籠を海に捨てていた。実際には、小笛は身体を売って生活費を稼いでいたのである。
久しぶりに賭場に出た竹村は、昔のやくざ仲間から、その事実を聞かされ唖然とする。その夜、雪に居場所を突き止められた竹村は、許しを請うが殺害される。
次に、松右衛門より塚本は既に死んでいるとの情報が入り、雪はその墓前で生花をたたき切った。それを見ていた恐喝屋の足尾竜嶺(黒沢年男)は、雪の行動に興味を持ち、雪の過去を調査して結果を小説として新聞に公表する。
北浜おこのは、料亭の女将をやっていたが、この記事を読んで恐怖のあまり自殺してしまう。更に、雪は、塚本の死亡が偽装であり、実業家となって鹿鳴館に出入りしていることを突き止める。鹿鳴館で外国人を集めて華やかなパーティが行われている中、雪は塚本を見つけて切りかかるが、その前に足尾が立ちはだかる。実は、塚本と足尾は親子だったのだ。雪は、足尾を突き刺した刃を塚本にまで串刺しにして二人を絶命させるが、同時に肩に傷を負う。
復讐を終えて、鹿鳴館を後に、雪の中をよろめき歩く雪に対して、父である竹村を殺害された小笛が、短刀で切りかかり雪は倒れて息絶える。
と言うストーリーです。
書いてみるとどうってことは無いストーリーなのですが、映画が俄然面白いのは、冒頭の雪の中を舞うシーン、鹿鳴館での立ち回り、その後、雪の中小笛に刺されて息絶える梶芽衣子の美しさ・格好良さが強烈なインパクトを我々に与えるためかと思われます。
さて、この映画を初めて見たときから、小笛が籠を海に捨てるシーンがやけに印象に残っています。
このシーンから、いささか強引ではありますが、私の現役時代に発生した取引上の問題を含めて企業のリスク管理について、検討したいと思います。
お伝えしたいメッセージは「その商品ってホントに売れてるの?」です。
かなり昔になりますが、私は事務機器の一次卸会社で営業責任者をやっていたことがあります。主な取扱製品は、パソコン、プリンター、事務機で各メーカーを幅広く扱い、二次卸会社に販売していました。
当時パソコンは大手電機メーカー各社が製造していましたが、ブランドによって売れ筋製品とそうでない製品がありました。地方の有力二次卸会社の某支店から、売れ筋でない(売れ残り気味の)パソコンに対して定期的に注文が入る様になりました。しかも、値引き要求が当たり前の世界なのに、値引きなしです。
私は、ウチの営業担当者A君と共に先方(某支店)に注文のお礼のあいさつに伺うことにしました。
先方は人の良さそうな支店長さんと営業担当のBさんが面談してくれました。Bさんは数ヶ月前に、先方の会社に途中入社したそうで、前職は空調・電気工事の会社だったとの由。先方の主な販売先は、学校や事務所が中心だったので、Bさんが前職の人脈を活かして新たな販売ルートを開拓し、このルートでパソコンが売れているとのことでした。
その帰路、私はA君に、この取引については、先方との間で必ず売買契約書を交わすこと、納品にあたっては先方より貨物受領書を必ず取得する様に指示しました。私もA君も「話が出来すぎ」との思いを抱いたため、契約・納品の事実をしっかり残しておこうと考えた訳です。
数か月後に、先方の本社より連絡があり、Bさんが仕入れたパソコンを横流しして半値八掛けで現金化して着服しており、多額の損害を被ったので、一部を負担して貰えないか?というものでした。こちらとしては、契約・納品の事実があるので、負担には応じられないと主張し、先方も納得せざるを得ず被害を被らずに済みました。
ここでの教訓は、「この商品は本当に市場で売れているんだろうか?」「この取引は正常なんだろうか?」との感性を持つことの重要性です。企業の営業担当者は日々の販売活動や受注・配送処理に手一杯で、実際に自分が販売する商品が、誰の手に渡ってどの様に使用されているのかについて軽視してしまいがちです。
ドラッガーの「イノベーションと起業家精神」においては、「予期せぬ需要」が、イノベーションの七つの源泉のトップに挙げられているように、製品の製造者・販売者の意図と異なるところに需要が潜んでおり(例として、粘着力の弱い失敗作の接着剤が、取り外し可能なメモ(付箋:ポストイット)様の接着剤として大ヒットしたことが挙げられている)この需要を捉えることでイノベーションを実現する旨が、記載されています。この様に、自身が製造・販売した物が実際にどんな需要に支えらえているかを知ることは非常に重要です。逆に、実際の需要に裏打ちされていない販売は、上記の様な不正取引に巻き込まれるリスクが多いことになります。勿論、販売した企業には何の責任もないのですが、販売先から損金の一部負担の要請を受けたり、警察沙汰になった場合は、企業の担当者(上記の場合はA君)が販売先の担当者(Bさん)と共謀していたのではないかと疑いをもたれたりして営業活動に支障を来すなど等の問題が発生する可能性があります。企業の担当者もしくはその上司の方は多忙かと思いますがこういった点に気配り・目配りをお願いできればと思います。
修羅雪姫の竹村は、小笛の作った籠を誰が買ってくれているのかを気に掛けることなく小笛の言うことを信じこんだ結果、死ぬ間際まで自分の娘が身体を売っていることを知らず、それを知って愕然としている中で、雪に発見され絶望の中で殺害されてしまいます。それを知っていれば、更に貧しくとも小笛との幸せな生活を思い浮かべながら死んで行けたものと思われます。
さて、このコラムを締めくくるGSネタですが、梶芽衣子の前身である太田雅子は、少し影のある若手バイプレーヤーでしたが、「青春ア・ゴーゴー」、「涙くんさよなら」において、日活ヤングアンドフレッシュ(ギター:山内賢、ドラム:和田浩二)およびスパイダースと共演しています。実際には、共演と言うよりも同じ映画に出演していただけですが‥‥。
また、梶芽衣子になって以降ですが、彼女の代表作の一つである野良猫ロックシリーズにおいて、第一作「女番長」(共演:和田アキ子)にオックス、モップス、オリーブ、GSではないがアンドレカンドレ(若き日の井上陽水)が、第3作「セックス・ハンター」(共演:藤竜也)では安岡力也(元シャープホークス)、第4作「マシン・アニマル」(共演:藤竜也・范文雀)ではズーニーブー、第5作「暴走集団」(共演:藤竜也・原田芳雄)においてはモップスが出演しているなど、GSとの関りは深いものがあります。
中でも、「セックス・ハンター」における梶と安岡のデュエットによる「禁じられた一夜」は、名前も知らない男女が一夜を共に過ごした後の夜明け前をテーマにした必聴の価値ある名盤ですが、残念ながらCDは現在では入手困難。また、「マシン・アニマル」では、ズーニーブーが「一人の悲しみ」を演奏していますが、一年後に同じ曲の詩を変えた「また逢う日まで」を尾崎紀世彦が大ヒットさせています。スクリーンでは、ズーニーブーが生演奏しており(少しだけロックぽいギターフレーズあり)筒美京平センセイの歌謡ポップス調の楽曲とはミスマッチ感がありますが、これもまた1970年らしく十分楽しむことが出来ます。
(2021年4月)
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