山崎豊子の勧善懲悪ものとして有名な「華麗なる一族」(1974)ですが、中小企業経営にとって学ぶところが有る様に思います。この作品は、数年前木村拓也主演でTVドラマ化されたこともあり、評論はいっぱいありますが、何か新しいコメントが出来れば、いいのですが・・・・。
先ず、おなじみのストーリーを短く纏めると、「業界10位の下位行である阪神銀行頭取である万俵大介(佐分利信)が、業界再編の中、生き残りのため、上位行である大同銀行に長男鉄平(仲代達也)が実質経営権を握る系列会社の阪神特殊鋼に対する融資額を膨らませた上で、同社を会社更生法申請に追いやる等して、大同銀行の頭取である三雲(二谷英明)を退陣に追い込み、結果同行を吸収合併し、新銀行の頭取に納まる。」と言うもので、その中で鉄平の出生の秘密や、大介の異常な性生活などが話をどろどろにしているものです。
さて、主人公の万俵大介ですが(佐分利の存在感は格別です)、大介の生き残りにかける執念と、その為の発想は素晴らしいと思います。これが名台詞の「小が大を食う」なのですが、昭和40~50年代は「大きいことが良いこと」の時代だったと思います。その時代に規模で劣っても「企業体力で競争上優位に立つ」との考えで経営を進めていく大介の才覚は評価に値すると思います。
尤も、獲物である「規模が大きくて弱い銀行」を探すのに、大蔵省エリート官僚で娘婿の美馬(田宮次郎:100%はまり役の悪人)に指示し、その美馬は、同省の定年が近いノンキャリの監査員に地銀の役員への天下りをほのめかして、その見返りに銀行の監査報告書をコピーを入手して体力の無い銀行を物色する と言うはちゃめちゃな行為をやってのけます。
大介は、他にも自行から阪神特殊鋼に送り込んでいる財務担当役員に、同行の融資額について二重帳簿の作成を強要したり、やりたい放題です。
この様な才覚に優れたワンマン経営者は、独りよがりの理屈で、物事を進めていきますが、この当時はそれで良かったとしても、ガバナンス・コンプライアンスの時代である現在にはとても通用するとは思えません。
最近も色んな企業が世間を騒がせていますが、それも経営者が自身の才覚を過信した上での暴走だったのでしょうか。。。
尚、原作者の山崎豊子は、物語の最後に自殺した鉄平(大介は自分の父の子でないかと疑っていた)が大介の子であったとし、また、新銀行発足の直後に大蔵大臣が美馬に、新銀行を更に上位の銀行に吸収合併させるように指示するなど、別のやり方で、大介に強烈なお灸をすえています。
大介に比べると鉄平(仲代)、三雲(二谷)の線の細さが気になります。
二人は、互いを信頼しあう中なのですが、鉄平の高炉建設の情熱に絆された三雲は、阪神特殊鋼に多額の融資を古参役員(西村晃)たちの反対を押し切って決めてしまいます。
阪神特殊鋼は、高炉建設の工期の遅れから突貫工事に入り、その結果爆破事故を起こして、更生法申請に至り、多額の不良債権を発生させた三雲は失脚、大同銀行は阪神銀行に救済合併されてしまいます。
鉄平の事業計画がどこまで検証されたかについて、映画(小説も)でははっきりしませんが、工期の遅れから無理な作業を強行せざるを得なくなった鉄平の事業計画の杜撰さと、それに対して、多額の融資をしてしまった三雲の甘さは、やはり批判されるべきでしょう。
この案件は、(自社で高炉を持つと言う)鉄平の「夢」の論理が出てきますが、希望的観測に基づく事業計画の怖さを改めて認識させられます。
ここで、鉄平と父親の大介とのコミュニケーションが不十分と感じた、三雲は「事業の責任者たるものが、メインバンクの頭取と会話が無いとはどういうことか・・・」と重要なアドバイスを鉄平に行います。でも、鉄平は結果的にこれを無視して破滅してしまいます。
大介との親子間の確執、自身の夢の実現があるにしても、鉄平には上場会社の経営者としてステークホルダーに対する責任感が欠如していると言わざるを得ません。
工期の遅れが発覚した時に、冷静になって事業計画の(中止を含む)再検討、親子の揉め事をさておいて当面の資金繰りの支援要請、現経営陣による会社の再建計画を練りあげ融資先各行への説明を行うのが彼の役割だったと思います。
鉄平は真面目な一本気のある人物で、映画全編を通じて常に一生懸命なのですが、その一生懸命さゆえに周囲を冷静に見えなくなっているところがあります。映画と現実は勿論異なりますが、こう言ったタイプのビジネスパーソンは結構多いのではないでしょうか?
最後になりますが、大介の次女二子を演じる酒井和歌子がとても可愛いのですが、彼女が操る妙な関西弁が、今も頭にこびり付いて離れません。(2011年11月)
(写真は東宝映画より引用)
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