Month: 6月 2015 (page 2 of 5)

多様性と軸のぶれない経営について

出口治明氏の講演会に参加しました。

同氏は2006年に日本生命を退社し、60歳で起業し独立系の生命保険会社であるライフネット生命保険を立ち上げた方です。日本経済の問題から始まり、自分の価値向上のために学ぶこと、最後はライフネット生命社のご紹介まで、幅広いお話を伺うことが出来ました。 クリックして続きを読む

「恋のハレルヤ」と3C分析の関係は?

今回は、昭和歌謡からビジネスを学ぶこととしました。

曲は「恋のハレルヤ」。昭和42年2月の黛ジュンのデビュー作です。でも、彼女は渡辺順子の本名で昭和39年に3枚のシングル盤を出していますがヒットせず、実質的には再デビューと言うことになります。ハレルヤ.jpg

あまりに有名な作品なので今更解説の必要もないでしょうが、作曲は鈴木邦彦、作詞はなかにし礼、バックの演奏は後にGS解散第一号としてマニアの間では良く知られているブラックストーンズ※です。この作品の素晴らしいところは、それまで、女性歌手のポップ系の曲と言えば、外国曲の日本語訳か、中村八大・永六輔の「夢で逢いましょう」系や岩谷時子系のお上品な曲ばかり※※だったのが、強烈なエレキのイントロと、いきなりハレルヤ~ッと絶叫で、聴き手をぐいぐいと引込んでいくところです。ミニスカートにブーツのスタイルと相まって、中村晃子や泉アキなど、その後の女性ポップシンガーのスタイルを確立した先駆者として、彼女の果たした役割は非常に大きいと言えます。あの美空ひばりさんがブルーコメッツをバックに従えて(ブラックストーンズとは格が違いますね)同様の曲調の真っ赤な太陽を歌っており、彼女のフォローワーになったことからも黛ジュンの偉大さが判ります。※※※ クリックして続きを読む

ブラボー若大将 田能久で現金横領事件??

若大将シリーズは言うまでもなく60年代を代表する東宝娯楽映画であるが、以下を切り口に前期と後期に別けることが出来る。

即ち、

時代 若大将のステイタス 相手役 音楽
前期: 61~68年 学生(主に京南大学) 澄子:星由里子 ※エレキ・GS
後期: 69~70年 サラリーマン 節子:酒井和歌子 歌謡ポップス/ フォーク

(※66年、エレキは海の若大将の「恋は紅いバラ」から)

後期は加山の年齢から学生役が困難になった為、会社員役になった訳だが、学生スポーツ競技会での優勝シーンがなくなったこと、加山の人気も下り坂になったことより、「おまけ」的な側面は拭うことが出来ない。また、音楽的にも世の中はエレキ~GSの衰退・代わってフォークや歌謡ポップスの台頭と言う暗黒の時代に突入し、加山の曲も全く魅力のないものとなっている。それをかろうじて救っているのは、はじける様な笑顔と、あっけらかんとした性格の酒井扮する節子の登場であろうか。 クリックして続きを読む

野生の証明と企業倫理

この診断士による映画評論もずいぶんご無沙汰です。ここ数か月、意外に忙しくて、懐かしの日本映画を見る時間がありませんでした。今回は、角川映画の名(迷)作「野生の証明」(1978年)にチャレンジです。

ご存じの通り、角川映画としては犬神家の一族、人間の証明に続く第三弾で、薬師丸ひろ子のデビュー作として大ヒットしました。当時、私も映画館に足を運びました。・・・が、ストーリーが複雑と言うか、良く言えば、矢継ぎ早の展開でごちゃごちゃになって訳が分からなかった記憶があります。

野性.jpg

そこで、あらすじです。

自衛隊の特殊部隊のエリート工作員である味沢(我らが健さんです)が、訓練中の山奥で迷い込んだ村落での大量殺戮事件に遭遇し、その殺人者を殺害します。除隊した味沢は、その殺戮の唯一の生存者で殺人者の娘である薬師丸を養女として、ある地方都市で保険外交員として暮らしています。この地方都市は三国連太郎率いる建設会社に牛耳られていて、そこのバカ息子が館ひろしと言う設定です。その町の地方新聞の記者である中野良子は、この建設会社の不正を暴こうとして、舘ひろし率いる暴走族に襲われたところを健さんに助けられて親しくなるのですが、三国の手下に殺されてしまいます(彼女は一人二役で、山奥にハイキングに来ていて健さんと遭遇した直後に、村落で巻き添えに合って殺されます)。一方、地元の刑事(夏八木勲)は、健さんを村落の殺人者と睨んで追跡しています。

更に話をややこしくするのが、薬師丸の記憶喪失と超能力で、彼女は健さんが自分の父親を殺害したことについて記憶を取り戻します。

いずれにしても、この町から脱出しようとした健さんと薬師丸に三国の手下が襲い掛かり、そこで、健さんは特殊部隊時代の「野生」の本性を発揮して、館を初めとする手下を皆殺しに・・・。と言うところで、薬師丸の証言によって、健さんを村落の大量殺人者と判断した夏八木が健さんを逮捕。ところが、除隊した特殊工作員を始末しようとする、松方弘樹率いる自衛隊特殊部隊に襲われ、3人で逃亡。夏八木は、トラックで戦車に体当たり。薬師丸が健さんに対して「お父さん!」と叫んだところをヘリコプターから松方に撃たれる。松方のヘリコプターを撃墜した健さんは、薬師丸を背負って戦車に突っ込んでいく。

と言ったところでしょうか。

中野の相方の新聞記者に田村高廣、防衛庁長官が芦田伸介、チンピラが梅宮辰夫、薬師丸を診断する大学教授が山本圭、自衛隊の偉い人が丹波哲郎とチョイ役にも大物俳優を起用していて、さすがお金持ちの角川の面目躍如たるところがあるのですが、であれば、健さんの相手の女優さんが中野良子と野性2.jpg言うのは、如何に当時彼女が売出し中だったとしても格として如何なものか?また、健さんを逮捕する刑事の夏八木も、人間の証明では、岩城滉一(岡田茉莉子のバカ息子)に轢き殺される女性の浮気相手だったことを思えば、大出世なのですが、健さんの相手としては迫力不足と言わざるを得ません。まぁ、当時14歳の薬師丸のスクリーンへの登場が最大の見所でしょうか・・・。

ところで、この映画のどこが経営診断と関係があるかって???。

実は、私の中ではしっかりあるんです。

最近の企業の不祥事の中で、このコラムでも取り上げた胃カメラ屋さんの不祥事と善良なサラリーマンの老後の年金を一瞬にしてフイにしてしまった投資顧問会社の事件には共通項が有るようです。両事件とも、ある大手証券会社のOB達が絡んでいると言うことです。専門的なことは判りませんが、その証券会社で叩き込まれた業務上の高度な技術と実行力、が、今回の問題に利用されたのではないかと思われます。株式市場にせよ、企業年金にせよ、我々の社会の根幹であり、この社会の仕組みを機能させるため貢献することが大手民間企業にも求められている筈です。

野生の証明の冒頭では、健さん率いる特殊部隊は業務上の特殊な技能を使ってテロリストを粉砕しますが、この様な技術が高度であればあるほど、目的外に使用された時のリスクが大きくなる。その為に、松方弘樹率いる自衛隊特殊部隊は、除隊後の健さんを徹底的にマークし、彼の暴走(野生の本領が出た)を確認した時点で、大部隊を使って抹殺します。(健さんと薬師丸に対して何もそこまで大部隊を投入せずとも良いものを!!! )それが、プロの技術を持った組織の社会に対する責任であることを理解していたものと思われます。

それに比べると、あの会社はどうなんでしょうか?下手に使われると我々の社会を破滅させかねない高度な技術と実行力を叩き込んだプロを野に放ったままで野生化するのを、放置して良いとは思えないのですが ・・・。少なくとも、それだけの「武器」を与える際に、同時に社会道徳を維持する一市民としての「倫理観」もしっかり教えて頂きたいものだと思います。

と書いている矢先に、今度は同社の社員が機密情報を漏えいしたことによりインサイダー事件の疑惑が起ったとのニュースです。ホントにどうなっているんでしょうね?

 

尚、この映画の主題歌は町田義人が歌う「戦士の休息」。元、ズーニーブーのボーカリストで、白いサンゴ礁以来のヒット曲となりました。人間の証明のジョー山中(元、フォーナインエース~フラワートラべリンバンド)と言い、角川さんはGSファンだったのでしょうか? 是非、今後の映画の主題歌に元GSのスター達を起用して貰いたいものです。(2012年6月)

<写真は東映映画より引用>

OL日記 濡れた札束

昨年来、胃カメラ屋さんとティッシュ屋さんが世間を騒がせていますが、最近になって企業不祥事が続出してきました。先日のAIJの巨額損失に始まり、今日の新聞では、黒崎播磨と言う新日鉄グループ企業のインサイダー事件、NTT東社員の収賄、東芝ライテックの横領事件と一日に3件もの事件が目白押し状態で発覚しています。それも、日本を代表する企業ばかり。これだけガバナンスの重要性が叫ばれている状況下、一体どうなっているんでしょうか?

私もCIA(公認内部監査人)の端くれとして関心を持たずにいられません。

不正には3つの要因(不正のトライアングル)があると言われています。即ち、

①    不正を犯す動機の存在(合法的な方法では解決できない負債を抱えているなど)

②    不正を犯す機会の存在(不正行為を犯しても発見されない環境下にいるとの認識)

③    不正を正当化する理由の存在(幹部だってもっと悪いことをやっているとか何とか・・・)

です。

私見ですが①と③を見つけるのは難しいと思います。①は個人的な事情であり、上司が部下の事情を必要以上に詮索するとパワハラ・セクハラになりかねません。また、今日事件が発覚した企業の社員であれば、犯罪に手を染めなくても十分生活できる給与を貰っているはずです。  ③も難しいです。自分を信頼してくれていると思っている部下だって本音は判りません。となると企業が不正をコントロールするには②の「不正の機会を与えない」ことに尽きるのではないでしょうか?

そこの中小企業の社長サン!

会社の帳面や支払の仕組みを自分で理解し、偶には自身でチェックしていますか?担当社員に任せっきりにしていませんか?自分のPCのパスワードを秘書に教えていませんか?社員の深夜残業や休日出勤の実態を把握していますか? 時々休みを取らせて別の社員に業務を交代させていますか?

機会があれば思わず不正に手を出す・・・。人間なんてそんな弱いものかも知れません。

 

さて、私の年代になると73年の滋賀銀行山科支店の奥村彰子による9億円の現金横領事件が大きく報道されていたのを(当時京都に住んでいたこともあり)思い出さずにはいられません。事件発覚後すぐに日活より「OL日記 濡れた札束」として公開されました。

今や死語となったオールドミスで支店のコンピュータ操作を一手に引受けている行員が、偶々学生時代の同級生の男と出会い、XXXの世界に引込まれてしまう。その男はギャンブル狂であったが、男と別れたくない彼女は、上司が彼女の業務内容を全く知らないのを良いことに、横領を重ねていく・・・多分、そんなストーリーだったと記憶します。

今日の3件の事件は判りませんが、テイッシュ屋さん事件の動機はギャンブルだったことを思うと、日本企業のガバナンスはこの40年間で果たして進化したのだろうか?との疑問を持たざるを得ません。

この濡れた札束の主人公北村潤子(奥村彰子)を演じるのは中島葵。何と、有島武郎の孫、森雅之の娘だったそうですが、91年に46歳の若さで子宮がんで亡くなられた由です。(2012年3月)

沈まぬ太陽と百恵サン

それ程忙しいわけでもなかったのですが、あまり映画を見る機会がなくて、このコラムもすっかりご無沙汰しました。先日、正月に録画した山崎豊子の沈まぬ太陽を最後まで見たので、チョイト一言・・・。

先ず、あらすじなのですが小説で全5巻、映画で3時間半と言う超長編を数行に纏めると、

・国民航空(NAL)の労組委員長である恩地(渡辺謙)は、ストライキを決行したことを理由にパキスタン・イラン・

ケニアへの海外赴任を次々と命じられる。一方、副委員長であった行天(三浦友和)は、経営に対して組合脱

退を約束しエリートコースを歩むことになる。

沈まぬ1.jpg・恩地が10年に亘る海外赴任から帰国早々、ジャンボ墜落事故が発生し、遺族への対応を命じられ持ち前の

誠意で遺族に対応する。

・NALも経営を案じた利根川総理(加藤剛)により、大阪の紡績会社社長である国見(石坂浩二)はNAL会長

に迎えられる。国見は、恩地を抜擢して一緒に会社再建を進めようとするが、政界とNALの癒着を表沈まぬ②.jpg面化

する結果となり、解任されてしまう。

・恩地は遺族対応係への復帰を希望するが、上司となった行天により再度ケニアへの赴任を命じられる。その沈まぬ③.jpg

行天は役員にまで出世するが運輸省への贈賄が発覚し地検に出頭を命じられる。

と言ったところでしょうか。

山崎豊子お得意の勧善懲悪モノで、善(恩地:渡辺)VS悪(行天:三浦)の対極的な生き方は、白い巨塔の財前(田宮次郎)VS里見(田村高廣)と相通じるものがあります。

さすが山崎豊子と言うか、渡辺謙の迫力もあり、飽きることなく一挙に最後まで見せてくれましたが、果たしてどこがこの映画の山場だったのか? 過去の作品に比べて印象が薄いように感じるのは私だけでしょうか。

さて、本題の経営アドバイスですが、CSR意識のかけらもないNAL経営陣のいい加減さは言うまでもないのですが、問題社員を僻地へ「飛ばす」と言う発想は、40年前とは言え如何なものでしょうか?映画の冒頭のNALのパーティで、在日ケニア大使が恩地のアテンドを望んだように、どんな地域でも、その地においては会社の代表であり、地域の有力者との関係が出来る訳ですから、そこに問題社員を送り込んで厄介払いをした等と考えるのはなど問題外だと思います。本当の問題社員であれば、本社の手元においておかしな動きをせぬように見張って置くべきでしょう。また、恩地自身はカラチ駐在の辞令が出た時に、「なぜ自分が行かなくてはならないのか」と上司に食ってかかる場面がありましたが、彼ほどの熱血社員にしては残念な行動でした。黙って辞令を受け容れるサラリーマンの美学が欲しかったところです。

う~ん、あまり参考になる様な評論になりませんでしたか???・・・・。

この映画のもう一つの見所は、墜落事故で息子夫婦と1歳の初孫を亡くす宇津井健(80歳近い宇津井の初孫が1歳と言うのは、設定にかなり無理がある様に思いますが)と恩地の娘の婚約者の母親として秋野暢子が共演していることです。撮影中に友和さんを交えて百恵サンの話題で盛り上がったのでしょうか?

それと、瀬島龍三を演じている品川徹ですが・・・。不毛地帯の壱岐正(仲代)は、どこか人間臭さを感じたのですが、品川の瀬島は感情の無い鬼になりきっておりメチャ怖いです。(2012年3月)

(写真は、角川映画より引用)

植木等は無責任社員?

植木等の「日本一の男の中の男」を見ました。本作は、植木等の日本一シリーズの5作目だそうです。

あらすじは以下の通り。日本一植木p.jpg

大手造船会社である丸菱重工の腕利き営業マンである小野子(植木)は、造船所内でヘルメットを被っていない老人(東野英治郎)に注意する。東野は丸菱コンツェルンの会長なのだが、それが判った後も態度を変えない。

直後に小野子は、傍系会社の世界ストッキングに出向を命ぜられ怒り狂う。同社は業績が低迷しており東野の孫娘で米国留学帰りのミチコ(浅丘ルリ子)が中心となって業績向上に取り組んでいるところである。切り替えの早い植木はストッキングのアンテナショップの店員として業績をあげた後、宣伝部に配属。宣伝部長(藤岡琢也)の指示に反して高額の代理店との宣伝契約を破棄し、社内の美脚3人娘をCFに出演させ、公約した「1/10の経費で10倍の効果を上げる」を実現する。次に異動になった営業部では、部長(藤村有弘)は「ウチの営業は万全」と言うのだが、実は業界最大手の松越百貨店との取引が0であった。植木は、松越百貨店の仕入部長(谷啓)を接待攻勢で口説き落とし同社との大口契約を纏めるが、交際費を使わせない方針の浅丘とことごとく対立する。

更に、海外部長に出世した植木は、同社の製造に不可欠な技術供与元である米国デュパン社からの無理難題をつきつけられるが、自社工場の技術優位性を武器に、自社に有利な方向で契約を纏め、更にミチコのハートまで掴んでしまう。実は、植木の世界ストッキングへの出向は、彼の実力を見込んだ東野が同社の再生を植木に託して下した決定であった。と言うストーリーである。

良くある出世物語と言えばそれまでであるが、昨今世間を賑わせている2社の事件を思えば、相手が実力者であれ間違いは間違いと指摘する植木の態度に拍手を贈らざるを得ない。

また、世界ストッキングの役員は、自分で何事も決定できない社長(十朱久雄:ご存じ十朱幸代のお父さん)を始めとして、幹部連中はぼんくらばかり。特に最大手百貨店との取引口座がないにも拘らず「自社の営業体制は万全」と嘯く安定ボケで現状肯定派の藤村の様なタイプは、現実にいそうである。

この映画は、68年正月公開と44年も昔のものであるが、残念ながら一部の日本企業において本質は、44年間あまり変わっていないのかも知れない。また、某社の英国人元社長のオニイサンは、現代版植木と言うことになるのか???

尚、こ日本一植木.jpgの映画の見所は他にもある。先ず、同社の美脚3人娘として木の実ナナ、奥村チヨ、伊東きよ子が美脚を(少し)披露している。特に当時「花とおじさん」でブレーク中の伊東きよ子は、以降も「リンゴの花咲くころ」「花のマドンナ」とヒットを飛ばすのだが、貴重な映像である。

もう一つ、植木が谷を接待するショークラブで平尾正章が歌う「若いって素晴らしい(オリジナル:槇みちる)」のバックで踊りとコーラスを務めるミリタリールックのミニスカ4人娘のうち3人は山室英美子(69年にトワエモアとしてデビュー)、久美かおり(68年に「世界は僕らを待っている」でジュリーの恋人シルビーとしてデビュー)、平山三紀(70年に「ビューティフルヨコハマ」でデビュー)と夫々が全く異なるキャラクターで一世を風靡する芸能人としてデビューすることになるが、その前夜の映像を楽しむことが出来る。

(2011年12月)

やっぱり「華麗なる一族」

山崎豊子の勧善懲悪ものとして有名な「華麗なる一族」(1974)ですが、中小企業経営にとって学ぶところが有る様に思います。この作品は、数年前木村拓也主演でTVドラマ化されたこともあり、評論はいっぱいありますが、何か新しいコメントが出来れば、いいのですが・・・・。

先ず、おなじみのストーリーを短く纏めると、「業界10位の下位行である阪神銀行頭取である万俵大介(佐分利信)が、業界再編の中、生き残りのため、上位行である大同銀行に長男鉄平(仲代達也)が実質経営権を握る系列会社の阪神特殊鋼に対する融資額を膨らませた上で、同社を会社更生法申請に追いやる等して、大同銀行の頭取である三雲(二谷英明)を退陣に追い込み、結果同行を吸収合併し、新銀行の頭取に納まる。」と言うもので、その中で鉄平の出生の秘密や、大介の異常な性生活などが話をどろどろにしているものです。

kareinaru5B15D

 

さて、主人公の万俵大介ですが(佐分利の存在感は格別です)、大介の生き残りにかける執念と、その為の発想は素晴らしいと思います。これが名台詞の「小が大を食う」なのですが、昭和40~50年代は「大きいことが良いこと」の時代だったと思います。その時代に規模で劣っても「企業体力で競争上優位に立つ」との考えで経営を進めていく大介の才覚は評価に値すると思います。

尤も、獲物である「規模が大きくて弱い銀行」を探すのに、大蔵省エリート官僚で娘婿の美馬(田宮次tamiyanakadai:100%はまり役の悪人)に指示し、その美馬は、同省の定年が近いノンキャリの監査員に地銀の役員への天下りをほのめかして、その見返りに銀行の監査報告書をコピーを入手して体力の無い銀行を物色する と言うはちゃめちゃな行為をやってのけます。

大介は、他にも自行から阪神特殊鋼に送り込んでいる財務担当役員に、同行の融資額について二重帳簿の作成を強要したり、やりたい放題です。

この様な才覚に優れたワンマン経営者は、独りよがりの理屈で、物事を進めていきますが、この当時はそれで良かったとしても、ガバナンス・コンプライアンスの時代である現在にはとても通用するとは思えません。

最近も色んな企業が世間を騒がせていますが、それも経営者が自身の才覚を過信した上での暴走だったのでしょうか。。。

尚、原作者の山崎豊子は、物語の最後に自殺した鉄平(大介は自分の父の子でないかと疑っていた)が大介の子であったとし、また、新銀行発足の直後に大蔵大臣が美馬に、新銀行を更に上位の銀行に吸収合併させるように指示するなど、別のやり方で、大介に強烈なお灸をすえています。

 

大介に比べると鉄平(仲代)、三雲(二谷)の線の細さが気になります。

二人は、互いを信頼しあう中なのですが、鉄平の高炉建設の情熱に絆された三雲は、阪神特殊鋼に多額の融資を古参役員(西村晃)たちの反対を押し切って決めてしまいます。

阪神特殊鋼は、高炉建設の工期の遅れから突貫工事に入り、その結果爆破事故を起こして、更生法申請に至り、多額の不良債権を発生させた三雲は失脚、大同銀行は阪神銀行に救済合併されてしまいます。

鉄平の事業計画がどこまで検証されたかについて、映画(小説も)でははっきりしませんが、工期の遅れから無理な作業を強行せざるを得なくなった鉄平の事業計画の杜撰さと、それに対して、多額の融資をしてしまった三雲の甘さは、やはり批判されるべきでしょう。

この案件は、(自社で高炉を持つと言う)鉄平の「夢」の論理が出てきますが、希望的観測に基づく事業計画の怖さを改めて認識させられます。

ここで、鉄平と父親の大介とのコミュニケーションが不十分と感じた、三雲は「事業の責任者たるものが、メインバンクの頭取と会話が無いとはどういうことか・・・」と重要なアドバイスを鉄平に行います。でも、鉄平は結果的にこれを無視して破滅してしまいます。

大介との親子間の確執、自身の夢の実現があるにしても、鉄平には上場会社の経営者としてステークホルダーに対する責任感が欠如していると言わざるを得ません。

工期の遅れが発覚した時に、冷静になって事業計画の(中止を含む)再検討、親子の揉め事をさておいて当面の資金繰りの支援要請、現経営陣による会社の再建計画を練りあげ融資先各行への説明を行うのが彼の役割だったと思います。

鉄平は真面目な一本気のある人物で、映画全編を通じて常に一生懸命なのですが、その一生懸命さゆえに周囲を冷静に見えなくなっているところがあります。映画と現実は勿論異なりますが、こう言ったタイプのビジネスパーソンは結構多いのではないでしょうか?

 

最後になりますが、大介の次女二子を演じる酒井和歌子がとても可愛いのですが、彼女が操る妙な関西弁が、今も頭にこびり付いて離れません。(2011年11月)

(写真は東宝映画より引用)

中小企業の海外進出のTV番組を見ながら・・・

最近は、中小企業の海外進出に関わる番組がTV放映されることが多いですが、先日、出張先で某放送局の海外向け番組を見ていると以下のような事例が紹介されていました。

東海地区の自動車部品メーカー(仮にA社とします)の事例なんですが、今までトヨタに部品を納入してきたのですが、トヨタが生産拠点をインドネシアに移転することになった。A社では、部品を国内で生産したのでは、トヨタのインドネシア工場に納入できない(円高で価格競争力が低下している)ので、インドネシアへの工場進出を検討中というものです。

そこでA社社長の発言なのですが「原料と機械さえあれば誰でも作れる部品なので、日本で作っててはコストが合わない」、確かそんな内容でした。「現地で製造を始めてもトヨタインドネシアが購入してくれる確証は無い」との話もありました。

その一方で、現地で工場団地を展開している商社の営業マンから「工場団地が進出を希望する企業でドンドン埋まってしまい、これが進出のラストチャンスです」みたいな売込みをかけられ、A社長は、その気になってしまいます。

もうひとつ気になった発言は、「日本では儲からないので、インドネシアで利益をあげて、それを日本に持ってくる」と言うものです。

これを見ていて、とても心配になりました。

まず、「材料と機械さえあれば誰でも作れる」様な部品なら、別にA社が態々、インドネシアに出て行って製造せずとも現地の企業で資金さえあれば、製造可能です。そんなところに現地の知見の無いA社が出て行ってうまくいくとはとても思えません。

もうひとつ心配なのは、「バスに乗り遅れるな!」論です。「他社がやっているから当社もやらねば・・・」と言うことであせってしまい、行き先を確認せずに皆が乗るバスに乗車してしまう (乗った後で行き先が間違っていることが判ってももう遅い)と言うことです。

TV局が番組を纏めるために、そのように単純化しただけかも知れませんが、A社は今までトヨタに部品を納入してきた実績があるのですから「材料と機械があれば誰でも作れる」だけでなく、トヨタが評価するノウハウを持っている筈です。これがA社にとっての「強み」ですから、インドネシアに出て行っても、この「強み」を引続き発揮できるかどうかを検討する必要があると思います。これを十分検討して「勝算あり」と判断してから進出を決めても決して遅くないと思います。周りが「千載一遇のチャンス」と言ってくるケースは多いでしょうが、じっくり慎重に検討することが重要です。

もうひとつは、「現地で稼いで日本に利益を持ってくる」ですが、A社では誰が現地で指揮を取るつもりなのか判りませんでした。まさか、「社員の誰かが現地で稼いでくれる・・・」と言うことでは無いと信じたいのですが・・・。

即ち、現地の責任者人選は成功・失敗の鍵となります。中小企業の場合は、企業のノウハウ(強み)は、社長個人の頭の中に入っていることが多いと思われます。だとすれば、社長が自ら、現地の事業が軌道に乗るまで自身で陣頭指揮を執る以外ありません。

こんな話ばっかりすると、「診断士は経験も無い癖に理屈ばかり多くて・・・」となりがちですが、円高で大変な時期だからこそ、あせることなく、自身の事業の立ち位置をしっかり捉えて方針を決めることが大切ではないでしょうか? (2011年11月)

エンディングノート

「エンディングノート」と言う映画が話題になっています。60を超えた元サラリーマンが、末期がんを宣告され、自身の死を迎えて、人生を総括する(葬儀などの手続・資産の整理を含めて)との内容だそうです。驚いたのは、この主人公は実在の人物で、既に物故者であり、生前の彼の姿をカメラで撮ったのは娘さんだと言うことです。その辺にいる単なるオッサンなのですが、死と直面しながら冷静に物事の処理が出来るのでしょうか・・・・。

物事を正しく終息させるのは、とても大切なことだと思います。今まで、中小企業の海外進出に際して、進出に先立ち、撤収の条件を決めておくことの大切さをお話してきました。生産拠点を求めての海外進出の場合(その進出先を市場と捉えて、その国に市場を築くのでない場合は)、他に有利な生産拠点があればそちらに移動し、既存の拠点は閉鎖せざるを得ません。動いているものを止めるには大きなエネルギーが必要ですが、これを怠って放置すると海外拠点が足を引っ張ることになり、本社の存続に影響を与えかねません。終わりを念頭において始めると言うのも夢のない話かも知れませんが、でも、避けては通れないものだと思います。

話が飛んでしましましたが、知人の会社がUSBによるエンディングノートを開発・販売しています。数年前に紹介を受けた際は、全く関係のないものだと思っていたのですが……。

以下のURLをご紹介しておきます;

http://www.adlux-inc.com/rouminous/endingnotetoha.html

exclamation 映画「エンディングノート」の監督さんをたまたま知っています。まだ少女の面影を残す華奢で小柄な女の子(!)ですが、カンヌ映画祭で話題となった「誰も知らない」の是枝監督について助監督を続けてきたというから、かなりの筋金入り。

彼女は、お父さんがガン宣告を受けた後、まさか映画にする積りなど毛頭ないまま家庭用ビデオでパパを取り続けたんだそうです。お父さんの元気な姿をとどめておきたい、という娘としての強い思いによるものだったのか、一人の男の生き様を最期まで記録するのだ、という映像作家としてのやむにやまれぬ衝動だったのか。

日本の高度成長を支えてきた世代の、まさに象徴のようなお父さん。
映画の中ではいつも笑っていて、死を前にしているとはとても思えないほどの明るさを見せていますが、明るさには影がつきもの、胸の奥深くにぐっと秘めたはかり知れない哀しみがひしひしと伝わってきます。武士道とは言いませんが、あの時代を生きた男は、きっと、みんなこうした矜持を持っていたのでしょう。   るんるんy

image5B15D

Older posts Newer posts