ふう。長い長い打合せがやっと終わった。ったく、あのおばさん、えっ、そりゃまあ私だって立派なおばさんなんだけど、とにかくやったら思い込みが激しいんだもん。ありふれた相続案件なのに、いくらコンセツ丁寧に噛んでふくめるようにお話ししても、ハナっから聞こうとしないんだから。
父親が亡くなって、相続人はあのおばさんとその兄。父親と同居していたお兄さんが、亡くなる直前に父の預金を勝手に引き出したっていうありがちなトラブルだ。でも、依頼人の口からは、背任だとか横領だとか詐欺だとか、どこかで聞きかじったような穏やかじゃない用語が次々と飛び出して、二言目には「告訴する!」だもん。相続トラブルで刑事事件になるなんてことはまずないんですよ、っていくら言っても分かってくれない。こんなタイプを相手にすると、人のゴウの深さみたいなものをつくづくと考えてしまうよね。
とりあえず、お兄さんに連絡を取って話合いの場を設けるということで納得してもらった。ひとまず告訴状は書かずに済んだけど、こういう無駄な説得作業ってホント疲れちゃう。

依頼人を見送って外に出た時、ドアの横に茶髪の少女が立っているのに気が付いた。
「あ、何か?」
「あの、いいですか? ちょっと相談したい事があって」
「もちろんいいですよ。さあ、どうぞ入って」
ソファに座った少女は、よく見るともう大人の面差しをしていた。フリルっぽいファッションのせいで一見幼く見えたんだけど、子猫を思わせる目は、もう高校生のものじゃない。向い合ったまま何も喋らず、少女はもの珍しげに事務所を見回している。
「それじゃあ、まず、お名前聞かせてもらえる?」
「あ、なとりちなみです」
ちなみちゃん、か。ん? どっかで聞いたような……。
「で? ご相談というのは?」
30分5000円の規定相談料は、とりあえず概略を聞いてからということにしてあげよっか。
「ちょっと、困ってるの」
さほど困っているようにも見えないけど。
「どうしたの?」
「あの、家庭裁判所から呼び出しが来て」
「へーえ、家裁から。差し支えなかったら、どういう内容だったか教えてくれる?」
そこそこ可愛い顔してるのに、ケバいメイクが台無しにしている。コスプレっぽい服装も、いま一つしっくりきてない。言葉の語尾が上がるのは、栃木か茨木の出身だな、きっと。そのあか抜けなさと、子猫みたいな挑発的な目が何ともアンバランスだ。
「妻から離婚が申し立てられたので、出頭して下さいって書いてありました」
……!?
とっさに、何を言っているのか理解できなかった。
「ごめんね。誰から誰に対する申し立てって書いてあった?」
「妻からの離婚申し立てなら、夫に対してに決まってるでしょ」
むむむ。確かにその通り。ちょっとトンチンカンな質問だったかな。
ちなみちゃん、案の定、この弁護士、大丈夫かなって顔してる。
「あの、確認したいんだけどね。あなた、結婚してるの」
「してるように見える?」
「してないわよね。だったら、離婚調停に出頭しろって意味が分からないんだけど」
「先生、裁判所から来た書類見た方が早いんじゃない」
そりゃそうだ。どうも、子猫ちゃんペースに巻き込まれてちょっと調子が狂ってるなあ。茶髪にコスプレだからって、ナメたらあかん。
子猫ちゃんは、花柄模様のカラフルなトートバッグから茶封筒を取り出した。中に入っていたのは、家庭裁判所の定型書式の調停申立書だった。