~その①~は、こちらから!
~その②~は、こちらから!
~その③~は、こちらから!
~その④~は、こちらから!
~その⑤~は、こちらから!
~その⑥~は、こちらから!
~その⑦~は、こちらから!

オ・ン・ナ?
言葉を失った私に、幸次さんは吐き捨てるように言った。
「あいつの後ろに、とびっきりの性悪女がいたんですよ」
あの誠実そうな和樹さんが、父親のまさに血のにじむようなお金をオンナにつぎ込んでた?
ありっえなーい!
心の中で、思わず少女のような黄色い声を上げてしまった。
いやいや、世の中、あり得ないことなんてない。これまで、あの人に限って、っていう人の信じがたい行動を山ほど見てきた私ともあろう者が、何うろたえてんだろ。
「いや、もう回りくどい言い方はやめましょう」
幸次さんが、混乱気味の私を見かねたように言った。
「性悪女っていうのは……、あいつの母親なんです。私が死にもの狂いで稼いだ金は、由紀に行ってたんですよ」
はあ。なるほど、そういうこと……。
私は、ちょっと拍子抜けした。でも、確かに幸次さんから見れば、これ以上の性悪女はいない。
「由紀さんは、ご実家の弟さんのところに世話になってらしたんですよね。お金が必要だったんでしょうか」
「和樹が大学を卒業した頃、彼女は弟の家を出たようです。居候暮らしも長くなって、さすがに肩身が狭かったんでしょう。でも、申し訳程度にパートに出てはいたようですけど、マンションやアパートを借りようにも先立つものがなかった。それで、こともあろうに息子に泣きついたんです。昔見捨てた元夫からの仕送りを狙うというのは、一体どういう神経なんだか。おまけに、その後の毎月の家賃まで和樹が負担したらしい。勿論、元はと言えばすべて私が稼いだ金です。どう思いますか、先生」
私は、言葉もなく頷くしかなかった。
「破産して精神を病んで寝込んでしまった私を無慈悲に見捨てた女ですよ。その女が、息子を学業に専念させるために必死で稼いだ金を……。ふざけるのもほどほどにしろっ!」
幸次さんが、突然叫んだ。私は、思わず身構える。
「あ、いや、すいません。何も先生に怒ってるわけじゃないんです」 そりゃそうだよ。でも、私、よほどおびえた顔をしていたみたい。幸次さんの怒りに燃えた目が、徐々に冷静さを取り戻す。 「驚きました。あまりと言えばあまりの仕打ちですね。お怒り、無理はないと思います。それで、これまで和樹さんにお渡しになったお金の返済を求められたんですね」
確か、幸次さんが返済を求めていたのは、和樹さんが就職した平成22年4月以降の64か月分。大学卒業から5年余りだ。由紀さんも、さすがに息子の学生時代は自重していたということなんだろうか。
「別れた妻にとって、私は便利な打ち出の小槌だったわけです。久我先生、和樹に渡した金を別れた妻がかすめ取ってたこと、何で分かったんだと思いますか」
「和樹さんからお聞きになったんですか」
幸次さんが、またため息をついた。怒りに燃えたり打ち沈んだり。精神的にはかなり不安定だが、何かしら衝き動かすものがなければ、この人は沈み込んだまま浮び上れないだろう。衝き動かすものとは、かつては息子への深い愛情だったのだろうし、今は元妻への激しい怒りなのだろう。
「実は、この春、和樹が結婚することになったんです」
「まあ、それはおめでとうございます」
「どこがめでたいんだっ!」
うわっ! また虎の尾を踏んでしまった。
「あ、いや、すいません。時々我を忘れてしまって。気にしないで下さい」
気にするよ、まったく。
作り笑いで、何とかやり過ごした。「去年の10月に会って、その話を聞いた時は、本当にうれしかったんです。この子が結婚する。ちょっとお恥ずかしい話ですが、商売が順調で贅沢な暮しをしてた幼い頃、あくせく必死で走り回って何もしてやれなかった思春期の頃、自分で道を切り拓いて大学に入って就職して社会人になる姿が、コマ送り写真みたいに脳裏に甦りました。苦労ばかりさせたけど、最後には父親としてそれなりの役割も果たせたかな、と思ったら、何だか涙がこみ上げてきて参りました。必死で誤魔化したんですけど、和樹は気付いてたんじゃないかな」
「何だか、とてもいいお話……、じゃないですか」
どうか虎の尾を踏みませんように、と祈りながら注意深く言った。幸次さんの表情は変わらない。私は、そっと胸をなで下ろす。
「相手の女性とは、翌月に3人で会いました。4つ年下で、職場に派遣で来ていた優奈さんと言って、とても気立てのいい子でした。あの和樹が家庭を持つんだ、という実感が湧き上がってきました。先生、さっきおめでとうって言ってくれましたけど、そこまでは、本当に盆と正月が一緒に来たみたいな気分だったんです」
「そこまでは? その後、何があったんですか?」
幸次さんの眉間のしわが、また深くなった。
「次に会った時、和樹がおずおずと切り出したんです。嫁さんの地元の横浜のベイグランドホテルで結婚式を挙げようと思ってるんだけど、挙式費用が合計400万円以上かかりそうだ。優奈はまだ仕事に就いて間がないから貯金が殆どないし、男の甲斐性で自分が負担したいんだけど、父さん、ちょっと援助してもらえないだろうか、って言うんです」
幸次さんは、ちょっと嬉しかったという。息子に頼られることも、そして晴れ舞台に立つ息子に父親として精一杯の力を尽くしてやれることも。一念発起してスタートした馬車馬生活も間もなく10年になる。こんな時のために、爪に火を灯すような生活を続けてきて、それなりの蓄えもある。和樹のためなら、喜んで引き受けてやろう。
しかし……。
幸次さんはふと思った。息子も就職してもう5年になる。その間も月々欠かさず手渡してきたお金は、合計すればかなりの金額だ。ひょっとしたら、お前、これまで渡したお金はマンションの頭金にでもするのかと、ちょっと冗談めかして聞いてみた。和樹さんは、うん、まあ、と言ったきり口を濁した。
「あれ、和樹、何だからしくないなあ。今思えば、あの時初めて、息子に対して小さな疑念が生まれました」
家庭の不幸にもめげず、黙々と目標に向かって歩む強い精神力の持ち主で、おまけに親思い。そんな自慢の息子に、父親が初めて感じた不審の念。しかし、その時はさほど深く考えることもなく、ホテルの請求書を寄こせ、父さんが責任をもって支払うから、と伝えたという。そして、挙式費用480万円余りをホテルに振り込んだのが去年の末の事。和樹さんからの感謝の言葉を聞いて、幸次さんは心からの充足感を感じていた。後は、6月の挙式を待つばかりだった。